私の祖先は、詳しくは、わかりません。私の親戚のお墓に、延宝2年(1674年)に、高品の人が、親戚のお墓を作ってます。多分、このころから、私の本家は、存在していたと、考えております。1677年、延宝5年、延宝房総沖地震という、大地震があったそうで、津波により500名近くが犠牲になったそうです。関考和が‟発微算法”という、本を出しております。結構最近のことでしょう。多分、千葉の田舎の百姓ではないかしら。
私が子供のころから、屋号は紋四郎新宅でした。分家したものです。コロナ騒ぎの散歩で、この近くの地元の家を歩いてみて回ると、私の家によく似た家が、多くあります。私の、サラリーマンが建てた、家とは、まったく違うものです。散歩は、なんとなく歴史を見ているような気分になります。最近、袖ヶ浦市は、他の県からの人が、多く、家も近代風です。とはいっても、少し、外部にでれば、蛇、タヌキが、闊歩してます。まずは、そんな中での、生活と散歩を紹介しましょう。
私のおじいさんは、明治26年の生まれ、その親は、明治7年5月9日うまれ、その親、高品半之助は、江戸時代です。