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令和4年里芋堀

今年も,サトイモを、掘りました。

1.植え付け株

今年は、30株植えました。

2.今回の掘り出し株

5株を掘り出しました。

2.振り分けました。

5株で、バケツ一杯です。

3.水洗いしました

水洗い時じ、外側の毛を取り除きます。

4.乾燥して保存します

反省ですが、植えすぎました。後、20株あり、食いきれず、近所に配ります。

今年は、豊作です。植えた、場所が、サトイモに適してました。水分が多い所でした。

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令和4年薩摩芋堀

今年も師走に近くなり、サトイモ堀を、10月中旬に行いました。この、芋ほりも季節は、もっと、遅くなると、イノシシが出てきて、すべて、一夜にして、食べられてしまします。イノシシが来ない内に、掘り起こして収穫することにしました。

1.今年の出来栄え

掘り起こす前の、ツルの状況です。虫も少なく、一見、良好です。

2.ツルを刈りとります

苗を約30cmで植え付けました。

3.掘り起こし

紅あずまという、品種です。形は、良くありません。長さが不足です。中には、カボチャのような、芋があります。

4.水洗いをして乾燥しました。

綺麗な、いもの形では、ありません。

5.反省

形が、流線型でないのは、多分、畑の土が固すぎると思います。根が下に伸びきれなかったからか?

昨年は、植えた位置が、砂地が多かったところでしたが、今年は、乾燥した、場所でした。

しかし、大学芋にして食べましたら、栗のような硬さで、おいしかったです。芋が、固くなったようです。固い芋が少なので、自分で食べるには、文句はありません。

来年は、柔らかい土地を探して、植えます。

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4年目の彼岸花

このブログを始めて、4回目のヒガンバナを書きます。実の兄がなくなって、2回目のヒガンバナを見てます。弟の畑にヒガンバナがありますが、弟が、株を増やしたので、ヒガンバナの群落は、大きくなってます。モグラ退治と言ってましたが、何となく、モグラが少なくなったような気がします。兄貴をヒガンバナを愛していて、お墓の周りは、ヒガンバナだらけになりました。

1、今年9月15日頃のヒガンバナ

9月中旬、15日ころ、早めのヒガンバナは、咲き始めました。
枯草、刈りとった草を押しのけて、咲き始めました

2.彼岸の日のヒガンバナ

真ん中に、白いヒガンバナがあります。去年と比べて、増えてません。
ヒガンバナは、確かに、彼岸の中日頃が最盛期です。
花の名前は、忘れましたが、この辺では、お墓に飾る花です。

3.ついでです。

冬用の野菜の種をまきました。両側が、大根、真ん中が、手前から赤かぶ、ほうれん草、ニンジンです。

今年は、サツマイモ、サトイモ、ショウガの収穫が残ってます。サツマイモは、イノシシとの、競争です。

来年も、ヒガンバナの報告ができることを祈ってます。

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2022年畑状況

2022年の夏も、終わりかけております。暑い夏で、作物の出来も心配しましたが、私の畑は、何が良かったのかわかりませんが、豊作の部類に入ると思います。コロナがはやり、8月が水泳も休みました。畑の水やりに精をかけました。おかげさまで、キュウリとナスが、よく、採れました。オクラも、今年は、下枝キリをやめて、今のところ。豊作です。ショウガも初めての試みですが、結構育ってます。収穫はこれからです。今回の報告には入れません。
緑のカーテンに植えた、ゴーヤの、まずまずですが、あまり、食べてません。

台風11号は、今は、沖縄の方におりますが、この台風は、折り返して、来るでしょう。その時には、ゴーヤは、全滅すると思ってます。

1.8月30日現在の収穫

8月30日の収穫。
8月は初めの収穫。キュウリが取れました。

今年は、キュウリ、ナス、オクラが豊作です。ナスとキュウリは、水やりが、効果的なもしれません。

2.オクラの作物

オクラ、下枝の切り落としをやめたので、幹が育ちます。
実が次から、次へと付きます。

8月で、キュウリは、枯れました。ナスは、まだ、実をつけてます。オクラは、9月いっぱいは、採れるのでは?

オクラの隣に。枝豆を植えました。9月下旬に獲れるかも。ショウガも9月を目指しております。10月はサツマイモ。これは、イノシシとの競争です、

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東芝製扇風機を修理する

夏の必需品である、扇風機が、故障して困ってました。インターネットで調べても、メーカも直してくれないと報告してます。2015年に購入したのですが、初めは、東芝製、特に問題がありませんでしたが、3年くらいたって、C2というエラー信号が出て、停止してしまう、故障が出るようになりました。初めは、設置場所が、不安定なためか?床に置いてみるなどしていました。
今年に入り、初めは、稼働するのですが、1時間くらいすると、止まって、C2エラーが出ます。もはやこれまでと諦めかけました。どうせ捨てるならと思い、分解してみました。インターネットで、接続部を綿棒で掃除するとありましたが、全く効果は、ありませんでした。元エンジニア―です。分解して、というより、組み立てなおして、構造を研究しました。

その後、1か月以上運転できているので、これでよいかと思い、アップします。

1.外観

結構高級は、扇風機です。黒い部分は、エラー表示が出ます。
トップに、立派な、注意書きがあります。2年目か、3年目で故障する、扇風機に、10年以上使うなとは、冗談が過ぎます。

2.組み立て式

羽部分と、本体が分離式になってます。接合部に丸のマークがあり、固定のボタンがあり
白と白のマークを合わせれば、分離できます。多分、保管を考えてかなと思います。
分解すると羽根と本体、台に分かれます。上の写真のピンのがコネクターの雄と思います。
下の第二空いた5の穴かソケットでしょう。この部分で通電できるのです。

3.止まる原因は、このコネクタ部分にあると推定

コネクターのピンに相当する部分に汚れ多少あります。この部分を百金で買った100円のダイヤモンドヤスリで、掃除しました。
問題は、台の部分にある、メスの方です、手での部分を回転すると、接合点の金属があります。六角ボルトで穴に差し込んで、金属部分を回転させながら、掃除をしました。
この金属部分がお粗末ま設計になってます。板をまげて、穴にしてます。
受け側の金属が見えます。この中身は見えませんが、通電時スパーク等で、接点機能が劣化するのでは?ここは、六角ボルトで、ごしごし、擦りました。これは、C2エラ―が出たら再度研磨するしかないか?10年はとても持たないと思います。

この写真を撮るのは、大変でした。

再度組み立てて終わりです。
今の時代、扇風機を運転するにに、説明書読む人いる??ここに注意書きがあることは、販売時から、相当の故障があったのでしょう。こんな注意書きがなくても済むような、製品を売ってください。こんなお願いは、お笑いです。

最後に、直すまでに、上さんから、何度馬鹿にされたか!!

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令和4年、袖ヶ浦公園

今日は、6月18日、千葉の梅雨の真っ盛りです。畑のジャガイモの初堀をしてきて、昼に、蒸かして、バタじゃがにして食べました。びっくりするくらいに、おいしかったです。新鮮が一番か?半分は残っているので、梅雨明け後に、掘り起こしたいと思ってます。

所で今季説は、花は、アジサイです。公園には、色々のアジサイがありますが、私の畑のアジサイ、本当は、弟の畑を借りているので、私の花ではありません。その花も紹介します。

1.アジサイの原型

アジサイは、日本が原種だそうです。江戸末期にシーボルトがドイツに持ち帰り、西洋アジサイとして、進化したそうです。

これが、原種かどうか、保証の限りではありませんが、こんな形のアジサイを、ガクアジサイと呼んでいるようです。
これもガクアジサイか?

2.西洋アジサイ

この3つが、一般的な西洋アジサイ。どこでもあります。

3.私が、これは、綺麗と思ったアジサイ。

私の借りてある畑の隅に、あるアジサイです。

これは、花弁だそうですが、小さくて、綺麗です。
咲き始めは、こんなです。これが、変化する。ここがアジサイの、魅力です。

時間を見つけて、色々、種類を集めたいと思います。

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袖ケ浦公園菖蒲園

令和4年、袖ヶ浦公園の菖蒲園を紹介します。5月30日に、袖ヶ浦公園の近くを通りましたら、6月10日に菖蒲まつりを行うと案内が出てました。ならば、すでに、1部、花は咲いていると思い、訪ねてみました。

1.咲き始めの菖蒲

まさに、咲き始めの菖蒲。咲いているのは、50%以下。
全体的に、黄色が多いようです。枯れたのがないのが、気持ちがいいです。
大分咲いている部分もあります。
スイレンもあります。
スイレンは、6月からのようです。ピンク系のスイレンもあります。以前は、蓮もありましたが、最近は、亡くなったようです。

2.最盛期に、チャンスがあれば、紹介します。

6月は、アジサイが咲きます。その時に、再度、Blogに上げます。

3.6月12日に、再度、袖ヶ浦公園を、訪れました。

ほぼ、最盛期でした。
スイレンもありますが、いまいち、早すぎたか?
この花は、咲く時間が、短い。すぐに枯れます。枯れ花を処理すれば、綺麗でしょう?

以前は、蓮の花もありましたが、無くなってしまいました。

3項は、6月18日に追加しました。

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日本国憲法の前文

2020の東京オリンピックが終わり、ロシアは準備万端でウクライナを侵攻した。演習と偽り、ウクライナのネオナチスを倒すなどと、屁理屈を付けて、侵攻した。日本だけでなく、世界でも、ロシアは、そんなことはしないだろうと予想していた。ロシアを研究している人々が、そう信じていたのではないか?しかし現実は、全く違った。世界では、小国が、又は、小さな地域が侵攻して、領土を奪うのではなく、大国でさえも、力ずくで、問題を解決しようとするのだと、気づかされたのです。誤解を恐れずに言えば、アメリカも、中国の同じことをする可能性はあると、思います。
日本でも、憲法改正が議論されているが、ほぼ、全くの手つかずと思ってます。憲法は、何が書かれているのか、誰でも調べられます。日本の憲法の理念は何なのか?この理念が正しいのか?現実に適合しているのか?まずは、この確認をすべきと考えます。

1.日本国憲法の前文

日本国憲法の前文、後半の部分にこう書かれている処がまず気になります。

日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。

日本国憲法前文より

この認識で、日本国憲法は、作成されているのかと、唖然としました。新聞等で、右派の人が指摘をしていますが、

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、日本に近隣は、そんな国は在りますか?又は、信頼できますか?
憲法とは、そんな理想論で成り立ってよいのでしょうか?

ジョン.レノンが歌っている、イマージンのいう、夢見る人ではありませんか?
今回のロシアのウクライナ侵攻は、現実は、そんなに甘くないことを、物がったって、いるのではないか?

そして
「われらの生存と安全を保持しよう」決意した。
とあります。これは、幾ら戦争に負けたとはいえ、アメリカの脅迫されて、決意したと、言わされたのではないか?
こんな、あやふやな、理想論に信頼を置けますか?憲法学者は、何を考えているのか?

またそして
「専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」において、名誉ある地位を占めたいと思う。

名誉ある地位は、大いに結構。問題は、その認識です。
「専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会」とは、反対の国に囲まれているのです。ロシアと人中国、北朝鮮などは、専制と隷従の見本ではないか?

2.自衛隊の議論

前文を見直しをして、自衛隊の位置づけをすればよいと思います。国軍を認めればよい。悩むことはない。
ただし、国民の3分の一は、左派で反対するでしょう。
中國が、台湾に侵攻してきたら、日本は、巻き添えを食う。地政学的に、やむをえないのではないか?その時の為にも、日本は、国防力を上げざるをいないのではないか?

ロシアのウクライナ侵攻がなければ、中國に対しても、こんなに用心しなくともよかったのに!
ウクライナは、ロシヤに負ければ、多大な犠牲を払うでしょう。日本が、第2次世界大戦で、どんなにロシヤ、ソ連なら、ひどい目にあったか、思い出すべきです。アメリカの原爆投下も、ひどい話ですが、ソ連もひどい国です。ウクライナに原爆を使うかも!アメリカでもやったのですから、困ったら、やる。

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八重桜 in 袖ヶ浦公園

今まで、袖ヶ浦公園の桜は、池の周りのソメイヨシノだと思ってました。八重桜が、あるのは、知ってましたが、葉っぱが多くて、綺麗には、咲かないという、先入観がありました。4月中旬でしたが、そういえば、八重桜があると思い、袖ヶ浦公園の八重桜を、見に行きました。

1.八重桜

八重桜

八重桜をみると、葉はありますが、花が極めて大きいです。葉が目立たないです。これまでの先入観では、葉っぱの中に花があると思ってました。しかし、この様に、この時期、葉は目立たないように、花を引き立てております。

2.堤防からの展望

堤防一面に、八重桜があります。桜の下からは、多少、葉も見えますが、遠方の上からは、花しか見えません。
花の咲いている、濃度が、濃く感じます。

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上総の介暗殺される!

現在、鎌倉殿が放映されております。鎌倉時代は、平安時代です。平安時代に、東国、坂東は、平氏の時代です。第50代の桓武天皇の時代に、上総は、親王が国司を務める、親王任国であった。桓武天皇の系列の高望王、平の高望が、上総に新任されている。その子孫が、今回暗殺された、上総の介広常である。鎌倉殿、鎌倉幕府の協力者であったが、頼朝の陰謀に、引っ掛かり暗殺さてた。上総の介広常は、力がありすぎた。

ところで、上総の介広常が暗殺されつ250年前に、平将門が、新皇を名乗り、乱を起こしている。
ここで、桓武天皇の子孫の平の高望、将門、広常の関係をまとめてみた。

1.桓武天皇の系列

桓武天皇は、第50代の天皇です。その子供に、葛原親王がおり、その子供に、高棟王、高見王、兼高王がおりました。
高見王の子供が、高望王です。この高望王は、892年から896年まで、上総の介として、上総の国府、今の市原に赴任します。

2.高望王の4人の子供

4人の子供は、良文、良将、良兼、国香です。ここでは、良将の子供、将門について、述べたい。

2.1平の良将

良将は、当時問題であった、俘囚との交渉を担当して、上手く解決して、高く評価され、鎮守府将軍に抜擢されました。当時上総には、市原と、長柄に俘囚の里がありました。良将は、長柄の俘囚の娘と結婚しました。この相手が、桔梗の御前です。
陰陽師に占ってもらうと、「賢いが、成長した暁には、武勇優れた天下の反逆者になる」といわれ、母、桔梗は、良将から、離されることになりました。流されて、東金市の御門で、誕生しました。後の将門です。この企てには、叔父の国香の悪だくみがありました。将来の争いの種になります。その後、国香叔父の勧めで、都の修行に出かけます。京都では、叔父の良文より、兵法の等の指導を受けます。

2.2将門の怒り

都で、8年を過ごして、929年に相馬に帰ります。この時、将門の領地は、叔父国香、良兼に奪われておりました。もう一人の叔父、良文に相談しましたが、話し合うように諭されましたが、戦法は教えてくれました。

承平5年(935)、領地問題から、戦いになり、叔父、平の国香を殺害しました。承平7年(937)には、平の良兼、平の良正(良兼の弟)との戦いになり、同族間の間の戦いの激しさを増しました。

天慶2年(939)藤原の玄明が、税金の不払い問題で常陸の国司と対立し、将門に助けを求めます。将門は、玄明を守り、常陸国府を焼き払い、印綬を奪いました。印綬は朝廷が国司に与えた証明書です。これは朝廷から、常陸の国を奪い取ったとこになります。これにより、将門は、朝敵になります。

藤原の玄明は、税金を、人民い分け与えておりました。将門は、上総、下総、安房、下野、武蔵、相模の国から、同じように印綬を奪い、各国司を占領して、新皇と名乗りました。
朝廷は、将門、追討令をはします。

これに応じたのが、以前から将門に恨みを持っていた、平の国香の息子、貞盛と下野の国の豪族藤原の秀郷です。
将門は、940年、この戦に敗れで、亡くなりました。将門には、「坂東の独立」「という理想があったのです。

この流れは、良文流平氏に、引き継がれます。上総の介、広常などに、受け継がれます。

成田山新勝寺は、将門の乱鎮圧のために、朱雀天皇が、空海にたので、創建されたもので、将門の子孫、家来は決して思いりしないそうです。

国香の息子貞盛の子孫が178年後に現れる平の清盛です。

2.3両総平氏平の忠常の大乱

忠常は、祖父は、平の良文、良文流平氏の祖である。母は、将門の二女である。上総権介、下総権介を任命されおりました。

長元元年(1028)忠常が安房の国司を殺したことで反乱が広く知られるようになりましたが、忠常に、地元の支持があったことから、収奪を強める国司に対する、紛争で会った可能性がある。同年6月に、朝廷は、忠常追討の宣旨を出すとともに、追討使に平の貞盛の子孫平の直方を任命しました。

しかし、忠常は、戦う気はなかったのですが、直方は忠常から、関東地方の覇権を奪いたいと考えており、忠常と直方の私的側面があり、戦いは、激化してゆきました。

平の直方の、追討はうまくゆかず、朝廷は、新しく清和源氏の源の頼信に追討を命じました。長元4年(1031)に忠常は、戦わずして、頼信に降伏しました。
忠常の乱により、3年間で、耕作地は、ほとんどなくなった。

2.3両総平氏の復興

亡国と言われた房総地方の復興を担ったのは、平の忠常の子孫でした。彼らは「開発領主」として開発した土地を、「根本私領」として、その地を名字として名乗る在地領主となってゆくのです。こうして、在地領主の私領として中世の郡や、郷が成立したのです。
上総の国。下総の国に勢力を広げたのが忠常の子孫は、両総平氏と呼ばれます。忠常の孫の平の常兼は下総の国に勢力を伸ばし、その弟の平の常晴は上総を地盤としました。
常兼は、千葉常重です。その子が、千葉常胤です。常晴の孫が上総の広常です。

今回、頼朝に暗殺された、上総の介広常は、この人です。今から、840年前の話です。