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令和4年の袖ヶ浦の春

コロナの蔓延防止法水泳はできず、散歩を過ごしてましたが、気が付けば、3月も終わりに近づいております。袖ヶ浦公園の桜祭りも、3月26日、今日になってました。例年は4月に入ってからでしたが、公園の桜は、終わってました。葉桜見物になってましたが、今年は、適当なときと思います。花を見た順に記述してみたいと思います。

1.梅の花

2月の中頃から、公園の梅林に梅の花が咲きます。

梅の花は、確かに、春が来たなーという感じはします。袖ヶ浦では、早いところは、1月の初めに梅は、咲きます。

これは、私の畑の近くで、2月頃にはいてます。南向きなので、しかも北側は山に囲まれているので、特別に早いようです。

2.河津桜

気が付くと、袖ヶ浦にも、個人が、河津桜を植えております。私の畑の隣にありました。これも、2月には咲きます。

この近くでは、五井の養老川の堤防に植えてあるのが、大きいです。もともと、伊豆半島にあった桜ですので、房総半島とは、気候が近いのだと思います。

3.あんずの花

あんずの花です。是に実がなり、毎年、ジャムを作ってます。この種から、杏仁の元を作ります。
あんずの花は、桜の花より、綺麗がもしれません。

昔、ブラジルのクリチバに居た時、友人の意にに招かれたとき、あんず畑を見ましたが、大変綺麗でした。

4.こぶし、木蓮

木蓮の蕾の時代。3月初めです。
こちらは、こぶしです。木蓮より早く咲きます。袖ヶ浦を走っている平成道路は、こぶしが植えられております。3月初めには、咲き始めます。
この時期、木蓮は、こんな感じですが、木蓮も場所、種類で、結構花が開いているのもあります。

5.千葉と言えば、菜の花

袖ケ浦公園の上池の周りには、3月20日ごろで、こんなに、菜の花が咲いてます。周りの桜は、蕾です。

6.桜

袖ケ浦公園で、一番早く咲くところで、なんと北側の駐車場です。裏側が山になっており、
南向きです。
駐車場を山側から見る。梅も咲いてます。
袖ヶ浦公園の桜で、私が一番好きなアングルです。
花見広場です。ここで、弁当を食べる人が多いですが、今年は、禁止のようです。
上池からの桜、一周1.6kmです。桜並木が続きます。
桜の間から。
菖蒲池から。
上池の堤防から。ここの桜は、八重桜で、もう1か月くらいで咲くかも?
公園の隣の民家の桜です。姿が素晴らしいです。毎年、ここで、花見をしてますが、うらやましいです。

3月の終わり、桜のシーズンも終わりです。次は、菖蒲の季節です。

反省ですが、glogも付きになってます。もう少し増やしたいと思ってます。

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源頼朝 in 袖ヶ浦

令和4年の1月から始まった、NHKに大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は頼朝、伊豆の石橋山の戦いで敗れて、房総半島に、逃げていてから、身近になってきました。京都では、保元平治の乱があり、最終的には、源氏が破れ、頼朝は、伊豆になされて、20年辛抱しますが、以仁王の反乱により、頼朝自身が再起をしますが、石橋山で、大庭景親に敗れて、安房の国に逃げてきました。
今の鋸南町竜島、保田と岩井の間、鋸山の南側、日本寺の注ぐ近くです。伊豆の真鶴から、船に乗り、三浦半島を抜けて、東京湾を渡ったのです。1180年の8月。夏だから、寒くはないか?

この竜島から、房総半島の豪族を、味方に付けで、鎌倉を目指します。一宮の上総常広、千葉の常胤らを味方の、鎌倉に上がりました。

その時に、道のりが、色々なところに残っております。単なる、言い伝えもあるようですが、そこまでは、精査してません。コロナの中で、私が歩いて、気になったところを、記述したいと思います。

1.袖ヶ浦の鎌倉街道

袖ヶ浦公園の上池の放流口の近くに、近くの案内図があります。
この案内図に、昔から伝えられる鎌倉街道が入った、地図があります。

袖ケ浦市の説明の上のところに、鎌倉街道があります。袖ヶ浦公園の上池から右に伸びてまして、上の市原市の下の境に続いております。市原市の中に、後で、説明する、頼朝と関係する、御所覧塚があります。その近く200mくらいのとこに、万騎坂があります。
この鎌倉街道は、君津市、木更津市から、袖ヶ浦市、三作から、わかっているようです。
野菜畑の中を、2kmくらい進みます
次の野田というところ、交差点のところに、鎌倉街道の説明があります。左側下に、源頼朝北上経路の図があります。
ここも、畑の中を真っすぐ進みます。県道300号に市原方面に進み、39ゴルフ場の看板を左に折れると、辻の通りに付きます。そこが、野田から次ぐく、鎌倉街道です。

2.源頼朝の北上経路の鎌倉街道

頼朝が、1万騎を集めて、閲覧した、御所覧塚です。鎌倉街道に入るとすぐ、目に入ります。
御所覧塚です。
この道路が鎌倉街道です。君津、木更津、袖ヶ浦公園方面です。公園お先に三作があり、ここに、頼朝は、1180年の9月15,16に表れたそうです。この道の真ん中が袖ヶ浦と市原の境界だそうです。御所覧塚は市原側。
市原をみる。ここから、200mぐらい先に、万騎坂があるそうですが、今回は見逃しました。地元の人にも聞いてもわかりませんでした。

3.袖ヶ浦に入った、頼朝軍はこの道のほかに、海への道を頼った。

昔からある土地ですが、飯富から、蔵波、久保田、代宿を言う道があったそうです。この途中に昔から、鎌倉街道と呼ばれている道が、あります。

浜宿といところに、山道があり、昔から、鎌倉街道と呼ばれております。
この道は、昔から、鎌倉街道を言われておりまっした。昔から、お墓は、道の近くに作ってましたので、私の祖先の墓は、この道にあります。

4.旗立の台地

この海岸よりは、台地になってます。昔から、「ハッタテ」の下と言ってましたが。「旗立て」だということが、わかりました。

頼朝が、千葉の方に合図を出したとも。昔、川鉄等の工場がなかったころは、筑波山まで、この辺の台地からは、見えました。
東京の国会議事堂も見えましたの。100年前は、もっと見えたのでは?

水は、東京湾、右は埋め立て地。台地の下は旧16号と内房線が入ってます。頼朝時代は、台地の上を通ざるを得なかったのでは?
台地は、海岸に沿って、道が走ってます。この台地は、昔、のりの漁師は、この台地を目印に、帰りの海岸を探したのでは?海から見て、台地の一番千葉寄りのところです。「ハッタテ」は、海は深いと言ってました。港でもあったのか?

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日記、経験

山野貝塚

袖ケ浦市には、12か所の貝塚があるそうです。その最大なのが、山野貝塚で、全部の発掘は、終わってないようです。このコロナ騒ぎで、市の設備の水泳プールは使えず、健康のために、ひたすら、市内の散歩をしております。そのコースもできるだけ、人に合わないようなコースを選んでおります。その中で、この貝塚は、繁華街からは、多少離れております。我が家から、歩いて、1時間近く、携帯の歩数計で、6000歩くらいのところです。往復で、2時間くらい。もはや、早くは歩けないので、ゆったりとです。

千葉県は、貝塚が多い県のようです。全国で2000か所くらいあって、700か所は、千葉だそうです。私が知っている貝塚は、大森貝塚ですが、千葉では加曽利塚貝塚でしょう。縄文時代4000年前くらいの貝塚だそうです。

1.山野貝塚

山野貝塚の入り口にある、案内です。袖ヶ浦の山の中というところか?袖ヶ浦公園の近く。
徒歩で、行かないと、車の交換が、大変なところです。水道の配水所があります。団地のはずれの蔵波中学校から、1kmくらい離れたところ。

近くには、古墳とか、貝塚がたくあんあります。
ここが、山野貝塚。単なる、野原です。この下が、貝塚になっているらしいです。
山野貝塚の案内看板。

山野貝塚は、縄文時代晩期、4000年前から2300年前の貝塚だそうです。


この時代の房総半島は、現在の形と異なってます。2万年前の氷河期が終わり、6000年前に温暖化が進み、縄文の海進という、海水面が13mくらい進んだそうです。その姿です。山野貝塚は、海岸の先端にあたことがわかります。東京湾は、皆潮干狩り場だったのす。
この貝塚の入り口の道路のわきには、貝殻が沢山見えます。海岸から、4kmくらい離れた山の中ですので、本来なら、貝殻などは、見当たらないところです。しかし、袖ヶ浦には、こんなに大きくはありませんが、こんな風景は、沢山なります。最近捨てたとすると、貝が白すぎます。

貝塚は、食糧の貝のほかに、動物の骨とか、土器も捨てられていたようです。多分、快適なところでは、無かったはずです。ハエもいたのでは?したがって、集落のはずれにあったか?素人でわかりませんが、私は、想像します。

2.縄文時代とは、

以前に、チバニアンについて記述しましたが、その時に、地質時代を自分風にまとめました。と言っても、単に、情報を集めただけですが、再度、掲載します。

この時代が終わると、弥生時代で、稲作が始まります。それ以前に、東京湾沿岸は、人が住んでいたのです。袖ヶ浦の高台の畑などを、はぎ取ると色々は、住居後の遺跡があるようです。何度か、発掘現場を見たことがあります。

3.周りの風景

この写真の丘の上に、山野貝塚があります。前は、田んぼですが、周りは、小高い丘陵になってます。平たいところは、多分、昔は海。と言っても、浅瀬の海だったのでしょう。
ここから、貝を集めたのでは、と思います。房総半島は、何度も、富士山の噴火灰を受けいる、はずで、関東ローム層を形成してます。そのために、落花生、サツマイモが取れます。
袖ケ浦公園の展望台から、東京湾のに入り口側、ここからは、木更津、君津方面を見るとこの下は、海だったと思われます。平野の向こう側は、やはり、小高い丘陵になってます。
ここが、海だったとすると、静かな入り江ではあなかったか?浅瀬で、貝は、一杯取れたでしょう。
丘陵の台地は、火山灰で、さらさらした、土です。今は、大根畑になってます。
キャベツ畑です。
貝塚の周りの畑には、貝の姿もありません。
余談ですが、田んぼの中に、住宅がいっぱい。丘陵の台地も、団地だらけです。奥に見えるのが、君津製鉄所です。

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旅、遠足 日記、経験

袖ケ浦公園冬の夕方

令和3年12月18日(土)16時過ぎに、袖ヶ浦公園を散歩しました。少し寒くなったので、冬鳥が集まるころと思い、夕方散歩することにしました。さすがに、人は少なく、静かでした。
15時過ぎには、月が出ておりました。渡り鳥の数は、何となく、昨年よりは、少ないような感じがします。これだけの渡り鳥の数は、数えるの能力は、私には、ありません。

私が、子供のころ、70年前ごろ、私の実家は、東京湾の海岸にありました。台風の時は、波の音が、聞こえました。普段は静かな海でした。冬には、多量の鴨が、東京湾を埋めておりました。今見る、こんな量、数ではありません。海が、真黒に感じました。それを不思議とも思いませんでした。自然とは、こんなものと思ってました。あの渡り鳥は、どこへ、行ったのか?

1.夕方の富士山

房総半島は、高い山がないので、どこからでも富士山が見えるようです。私の町からでも、隙間があれば、富士山は見えます。
朝夕は、東京湾越しに、富士山は見えます。特に夕方は、太陽が沈む、方向なので、綺麗な夕焼けを一緒に見えます。朝は、反射で、冬は、雪に覆われた、富士山が見えます。東京湾に浮かんだ富士です。
18日は、公園の近くの駐車場の隙間から、見えました。もう少し暗くなると、見えなくなる、寸前でした。17時半ごろです。
本当は、海岸の臨海公園にでて、撮影すれば、もっときれいです。

上手く、写真になりませんでした。東京湾から、4kmくらい離れてます。
スマホでは、こんな程度?

2.渡り鳥の数

11月初めよりは、多くなったと思います。渡り鳥は、北からくるものと思ってます。八戸にいたころ、近くの池に行きましたが、狭い池に、白鳥も来ておりましたが、さすが千葉は、来ないようです。

夕方、渡り鳥は、水辺に集まるようです。
寝るには、早すぎると思います。

3.夕方、17時過ぎ、月が出てました。

まだ、明るく感じたのですが、水面に、月影がありました。

こんな写真を撮って見たいと思ってました。房総半島の冬は、晴天の日が多いです。ただ、風はあります。風がなければ、冬でも小春日和です。

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日記、経験

晩秋の袖ヶ浦公園

令和3年の晩秋、コロナで人混み遠慮して、散歩するには、わが町では、袖ヶ浦公園です。毎年、Blogで袖ヶ浦公園を紹介してますが、10月の初めから、終わりにかけて、公園の池に、渡り鳥が、来始めました。まだ、少ないのですが、1月頃は、」こんなにという、感じです。千葉のここでは、綺麗な、紅葉を期待しるのは、無理ですが、渡り鳥で、冬が近づいていることを感じます。

1.10月初めの袖ヶ浦公園の池

波間に、多少のわた鳥が見えます。
多少みえます。
これは、10月の末ですが、多少増えました。

2.1800mの散歩道

この池一周が、約1800mです。われわれ、歳よりは、1周で十分ですが、若い人は、何周も走って、回ってます。冬でも風が、強くないので、歳より向きです。袖ヶ浦には、海岸に臨海公園がありますが、冬は、風が強く、歳より向きでは有りません。1日、7000歩の散歩道です。

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令和3年、秋の収穫

昨年度は、秋に、薩摩いのも収穫を送らせて、イノシシに全部食べられました。今年は、早めに、収穫しました。サトイモの苗は、50本近く植えまして、結構な量を確保しました。

また、新しく、枝豆を植えました。60株くらい植えました。今、10月末、29日ですが、結構実がなりました。多少虫がついてますが、食べられます。

1.サトイモの収穫

前方は、試し掘りをした後です。20本近くあります。もう一列ありましたが、左側ですが
すでに、掘り起こしました。ここは、安穏芋です。隣は、紅あずまです。安穏芋は、千葉には向いていないようです。
10月に入ってから、虫が出て、葉は、このように食い荒らせてしまいました、しかし、芋は関係がありません。イノシシに食われるより、幸せです。
これは、紅あずまです。安穏芋に、紅あずまが、混じってしまいました。しかし、一本の苗から、こんなに取れます。結構おいしいです。
安穏芋です。大きくなりません。千葉では、気候があわないようです。来年は、止めます。
大学芋にすると、食べられるようです。

2.枝豆

50粒くらい植えました。肥料もやらず、ただ植えただけですが、肥料が残っていたのか、こんなに、こんもり育ってしまいました。
こんなに、実を付けました。とても、食べきれません。近所の知り合いに食べてもらってます。

3.反省

冬に向けて、葉物を作りました。ほーれんそうを植え付けました。多すぎると思います。春菊、小松菜、パクチです。これも近所に配らないと食べきれません。

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令和3年ヒガンバナが咲きました

自然は、正直で、同じ季節に同じ花が咲きます。野菜作りで、ほぼ、毎日、畑に行きますが、9月13日ころに、ヒガンバナの蕾を見つけました。9月19日、1週間でほぼ、満開になりました。この間に、雨の日もありましたが、元気に、育ってます。
この季節は、サツマイモを、イノシシがねらっておりますが、今年は、まだのようですが、我が家のさつまいもも、時間の問題です。イノシシが食べる前に、試し掘りをしましたら、今年は、まーまの出来のようです。大根の種まきもしました。

1.9月13日、彼岸花の蕾をみつける

9月13日、花芽は、大きくなってますが、花は、開いておりません。

蕾もあります。
昨年もありましたが、一株だけ白です。園芸株だそうです。園芸株には、黄色もあるようです。

2.9月19日、雨天が2日ほどありましたが、ほぼ、満開です。

ほぼ、満開になりました。
昨年、株を増やした後です。弟がやってますが、毎年、株を増やしてます。
畑の真ん中あたりです。
畑の奥にもあります。
古株の部分です。株が大きくなります。
梅の木の下は、ほぼ、ヒガンバナになりました。

3.イノシシの季節です。

今年は、サツマイモもやってます。ヒガンバナが咲くころは、山からイノシシが、降りてきます。昨年は、サツマイモは、一晩で、すべて、食べつくされましたが、今年は、イノシシが出る前に、サツマイモの収穫をしたと、考えております。ヒガンバナは、毒があり、動物は、食べないそうですが、ヒガンバナを食べなくとも、その他の、食べ物は、上手く食べるようです。

このBlogをつくるとき、スマホの写真を張り付けようとしましたが、容量が大きくて、張り付けられませんでした。paint.netで原画を縮小しましたら、張り付けられました。参考まで。

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鉄砲漬けを試みる

コロナの時代、暇を見つけては、何かを試みることは、大切なことと考えます。トマトジュース、色々な、ジャムは試みましたが、今回は、千葉の名産成田の鉄砲漬けを調整意してみました。

まずは、原料は、はぐらウリを使います。これが、弟の畑に山ほどあり、カラスの餌になってました。何とか、利用方法がないか、調べましたら、千葉の名産、成田の鉄砲漬けの原料とわかりました。死んだ兄貴の畑にもあり、採って、食べろと言われましたら、食い方がわからず、ほとんど利用しませんでした。亡くなった兄貴には、すまないと思ってました。

コロナの時代です。時間は、たっぷりあります。WEBで調べましたら、鉄砲漬けの作り方のレシピがありました。自分流に、試みました。1年目の試作と思ってください。

1.はぐらウリとは

白瓜野中まで、こんな形をしてます。前後を切り離しました。スパーでは、最盛期は、8月頃ですが、1本、安いものでは、50円くらい。高級品ではありません。ぬかみそ、塩漬け等で食べても、そんなに、惜しいものではありません。この写真は、ウリの前後を切り離し、種を、スプーンで、くりぬきました。なんでもできます。実の部分は捨てます。

2.鉄砲をつくる

はぐらウリの両端を切り離し、芯の部分を適当なスプーンで種を取り除きます。この形が、鉄砲の芯に似ていることが、鉄砲漬けの意味らしいです。

この中に、唐辛子を紫蘇の葉をまいた、芯を入れ込みます。これが、鉄砲の芯。

3.漬け込み

本職は、これを、樽に並べて、塩漬けにするそうです。我が家は、樽がないので、安物の、漬物器を使いました。その際に3%の塩水漬けにするそうですが、ウリの表面に塩を塗り付けておくだけでもよい。私は、初めの3日間は塩水漬けにしました。

3日ぐらいで、水分がでてきます。これを捨てて、新しく塩を2%くらい加えて、漬け直します。

安物漬物器に並べる。これでは、小さすぎると思います。大きな樽に、多量に漬けるべきと思います。成田は、テレビで見ましたが2mくらいある樽につけてました。これに、塩をるつ感じです。
こんなもんじゃ、ウリは、つぶれない。時間が掛かります。私は、沢庵付けの樽も使いましたが、この方が、安心です。

3.ウリはつぶれる

1週間後に、ウリは平たくなりました。食べてみましたら、多少、青臭かったです。発酵が足りないせいと思います。
11か月後、試食しましたら、青臭さは、無くなってました。結構、酒のつまみになりました。

途中で、塩迪を加えたのが、良いかもしれません。夏の漬物なので、日陰が欲しいです。来年は、もう少し多量に漬けてみようと思います。

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トマトジュースを作る

数年前に、テレビでトマトの産地の特集をやってました。現地では、当然ながら、トマトは、多量にとれます。
その時に、トマトジュースの説くり方をやりました。一番おいしいトマトジュースの作り方です。その番組を見てから、自分なりのトマトジュースの作り方を、開発してます。飲んだ人の評価は、良いです。当然、タダで、提供しているので、悪く言う必要はないとおもいますので、それなりに、聞いてます。私は、作ったジュースを焼酎わりで、飲んでます。上さんは、まーまーといってます。それでは、私流のトマトジュースの作り方を紹介します。

1.トマトの入手

トマトは、夏場の最盛期に、一番安いものを入手します。出来るだけ、畑で、完熟したのもが、おいしいです。これまで、色々試しましたが、ミニトマトでも、ジュースはできます。ただし、種が多いので、処理に手間がかかります。家庭菜園などでは、獲れすぎた、ミニトマトを、ジュースにしてみては?思いのほか、濃厚なジュースができます。

今回は、市内のスーパで安売りをしていた、尾瀬産のトマトを使いました。

購入時は、もっと青みがかってましたが、2日ぐらい置きましたら、こんなに赤くなりました。尾瀬産とありました。15個で、900円でした。8月末ぐらいになると、畑で大きくなりすぎて、市場には出せない、完熟した、トマトが出ます。それが、ねらい目です。

2.その他の材料

これは、私の好みですが、ニンジン、リンゴ。パセリを加えます。オリジナルの放送では、原材料は、トマトだけでしたが、上さんの要求を入れて、この材料を付け加えました。

セロリは、葉っぱも使います。ニンジンは、皮を剥きます。これは、どうでも様です。リンゴは心を除きます。処理方法は、別途。

3.トマト処理

トマトは、まず、皮を湯剥きします。そのために、ヘタを取り除きます。

この部分は、ジュースにしにくいため、ここで、除去します。

湯剥きしやすいように、トマトの表に、十字の切り身をつけます。お湯から引き出して、冷却した時に、ここから、皮を剥きます。

お湯につけないと、ここからでは、皮は向けません。料理の基礎です。
トマトを全部前処理します。

沸かしたお湯に、トマトを,30秒くらいつけて、冷水に付けると、皮が、向けます。

湯剥きした、皮です。

湯剥きした、トマトを縦横に切ります。

こんな感じ。もっと、キリキザンでもよいよ思いますが、適当で結構です。

煮込み用の鍋に入れます。

今回は、15個のトマトに対して、30センチの鍋を2つ使いました。水等は、加えてはイケません。水分は、トマトから出ます。

4.その他の材料

セロリ、ニンジン、リンゴを、ザンキリニして、各鍋に加えます。ニンジンは、皮を剥きました。その必要はないかもしれません。リンゴは、芯だけをを取ればよい。セロリははっぱを含めて、すべて。トマトと一緒に煮込みます。

トマト、セロリ、ニンジン、リンゴをゆっくり、かき混ぜながら、30分間煮込みます。

かき混ぜないと、なべ底から、トマトが焦げますので、面倒を見てください。

20分くらいで、あくが出るので、これを根気よく取り除きます。
30分くらいで、あくがなくなり、綺麗になります。トマトは、その時の品質によりますが、良ければ、煮込まれて、姿は、ほとんどありません。リンゴ、ニンジン、セロリが残ってます。このままで、鍋がひえるまで、自然冷却してください。これも、煮込み時間です。出来れば、4時間から、8時間くらい。

5.仕上げ工程

自然冷却後、鍋の汁と中身を分けます。

金網で、汁と固形物を分けます。これは、セロリ等の固形物です。これをミキサーで粉砕します。
ミキサーに入れて、粉砕します。
粉砕した、中身は、裏ごしをするために、金網のざるにいれて、大型のスプーンで濾す。
これくらいまで、濾す。残りは、廃却する。トマトの芯や、野菜の筋などが残りますので、この部分は、廃却です
裏ごしした部分と、分離した液を、鍋に入れて混ぜ合わせ、再度煮沸します。雑菌処理を兼ねます。
煮沸して、冷めたら、完成です。冷めてから、自分の好みで、塩、コショウを入れます。
綺麗な瓶、ペットボトル等で、冷蔵庫で保管する。作り立てがおいしいです。

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農事報告

2021年の現在の農事報告をします。畑を初めて、10年近くになりますが、今年は、定番のキュウリ、トマト、ナス、オクラを植え付けました。そこ他、ズッキーニョ、サトイモ、サツマイモを植え付けました。昨年は、サトイモは、見事に、イノシシに掘り起こされました。収穫ゼロでした。

今年は、トマトを大型に切り替えましたが、見事に失敗です。6月初めに、皆、腐りました。大型は、難しいです。

その中で、キュウリは、豊作です。6月15日ごろから、毎日10本位取れます。7月末くらいまで収穫できるか?

オクラは、9月頃まで、収穫できそうですが、8月の中旬くらいから、味が落ちます。

7月中旬に、地這うのキュウリを植え付けました。これは、8月の末から、収穫できるかも?今年は、枝豆を先週植え付けました。

1.収穫

収穫は、コントロールできません。自然のままです。獲れるときは、どこでも取れる。自宅消費は、限られてます。近所への、お裾分けは、多分、迷惑以外の何物でもない。

一日で、キュウリ10本、ナス5個、オクラ20本位取れると、自宅では、どうにもなりません。今年は、ぬかずけを作ってもらってますが、食べきれません。必然的にお裾分けで、近所に迷惑をかけます。

2.植え付け

手前は、サツマイモ。真ん中の高い部分の、左側がなす、右側がキュウリ、真ん中の何もない部分が、失敗したトマト。跡に見えるのがオクラです。
キュウリは、こんな具合。ますっぐなのは、高級品です。
ナスは、水やりが大切。秋までもちます。
オクラの花も食べれるようですが、食べたことは、ありません。一日で、多くくなるので、毎日取る必要がある。
ズッキーニョ 長持ちしない
左がオクラ、右が、サトイモ。

3.自宅のゴーヤ

今年は、自宅のグリーンのカーテンの下葉が、早くから、枯れます。7月の初めから、枯れ始めました。近所のゴーヤも同じです。私の感じでは、秋が早いのか?

このゴーヤは、我が家でコーヤジュースを作ります。リンゴ、バナナを加えると、苦みがありません。健康の元。

4.薩摩芋のイノシシ対策

サツマイモは、9月21日に収穫しましたが、画像をスマホの圧縮画面で、撮影しましたら、WPには、UPできませんでした。

もとの画面に戻しました。pain.netで圧縮して、今後つづっけます。反省!!