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旅、遠足 日記、経験

冬の臨海公園

東京湾も、風が吹くと、湖ではないです。かなりの波の強さがあります。東京湾が、埋め立てられていなかったころ、私が小学生のころ、70年前ころは、海岸から4km、一里くらいは、引き潮時には、海水がない干上がった海でした。今は、埋め立てられているので、埋め立て先に出ると、上げ潮時には、2mくらいの水深になってます。

2月17日は、北海道に発達した低気圧があり、台風のような風がありました。埋め立て側の、車屋に点検をしてもらうために、海側に行きましたので、東京湾の中を見てきました。

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旅、遠足

袖ケ浦公園の冬景色

昨年の秋ごろに、袖ヶ浦公園を紹介しましたが、散歩公園として、冬編を紹介します。房総半島の東京湾側で、半島の真ん中ぐらいの位置は、冬と言えども暖かいと感じます。特に東京湾側での沿岸から、1~2kmぐらいは、特に、暖かいと思います。沿岸から、4kmぐらい離れたところとは、大分違います。千葉で雪となっても、沿岸は、雪な降らないことが、しばしばです。
この公園は、沿岸から3kmくらいか?我が家は、沿岸から1kmくらいなので、ほぼ、同じくらいです。春は、桜ですが、この季節は、渡り鳥です。

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日記、経験 未分類

目白 来る

我が家には、冬と春先、夏にかけて、目白がきます。10年前には、家のヤマボウシの木に、巣を作り、子供を育てました。

このコロナ騒ぎで、ステーイホームの間、目白が目につきます。窓から、気づかれないようにして、カメラを向けました。用心深く、人に気づけば、飛び去ります。また、ムクドリが同じ餌をめがけて、目白の食事を邪魔します。
我が家を訪問する、目白を紹介します。

目白は、鳥綱スズメ目メジロ科メジロ属に分類されるようです。
鳥綱は、チョウコウと読むそうです。祖先は、2億年前から、1億5千年前だそうで、人類より先輩です。Zosterops japonicusが学名だそうですが、何となく、日本と関係がありそうです。インドネシアから、樺太当たりません、住んでいるようです。

食性は、雑食だそうですが、花の蜜や果樹をこの実、子供を育てるときは、虫も捕食するようです。花に合わせて移動して、桜の季節などは、よく見ます。

我が家では、ミカンを用意します。子供のころ、弟が目白が好きで、良く捕まえて、育ててました。その時は、サツマイモを練って与えていたのを覚えてます。当時は、野鳥保護法のようなものは、無い時代です。その経験があり、サツマイモの練ったものを準備しましたが。やはり、ミカンが好きらしいです。

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渋沢栄一と古河市兵衛

江戸末期、第11代将軍、徳川家斉の時代、古河財閥の創設者、古河市兵衛は、京都岡崎に、代々庄屋を務めたが、落ちぶれた木村長右ェ門とみよの次男として、生を受けました。時は、天保3年3月16日、1833年4月16日 天保の大飢饉、天保4年から10年まで続いた、大飢饉でした。江戸幕府が大政奉還をして、明治が始まるまで、35年前に生まれたことになります。
一方、渋沢栄一は、天保11年2月13日、1840年3月16日、埼玉県深谷市血洗島に、渋沢市郎右衛門元助,母エイの長男として、生を受けました。古河市兵衛の方が、9歳上になります。
もう一人、古河市兵衛が、養子にした陸奥潤吉の親、陸奥宗光は、天保15年7月7日、1844年8月20日和歌山県和歌山市吹上で、伊達宗弘と政子の6男として、生まれます。伊達政宗の後裔と伝えられております。1867年に坂本竜馬の海援隊にはいり、竜馬の信頼を得ております。

小生が、お世話になった、古河財閥の会社で、入社時に教わった、古河市兵衛の話を思い出しながら、と言っても、56年前の話で、ほとんど覚えてませんが、渋沢栄一との関係は、多少、記憶に残ってます。色々、文献を調べながら、記述してみます。

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日記、経験

メープルシロップ計画1

2020年11月4日に、兄がなくなった。弟から、実家の畑に、大きなメープルシロップの木がある。それから、シロップを作ってはと、話がありました。温暖な千葉で,そんなことができるか、調べてみました。カナダで有名ですが、千葉で、出来るなら、やってみようと思いました。兄の供養になるかも?

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旅、遠足

鹿野山をたずねる

千葉で生まれて、育った小生は、子供のころから、鹿野山は、聞き覚えた場所です。これまで、何度かは、訪れたことがありますが、桜並木があったことぐらいしか、記憶にありません。今回、Blogを初めて、是非、訪問したいと思ってました。
今回、コロナの影響で、色々、制限がある中で、偶然に機会がありましたので、鹿野山を訪ねました。歴史のある神野寺とか、九十九谷を訪ねたいと思いました。また、ここ1,2年前に知った、阿久瑠王のことも知りたいと思いました。千葉、房総半島は、昔は、未開の地と思って育ちました。80歳間際になって、歴史を勉強してみると、とんでもない間違いと、気が付きこの頃です。しかし、疑問に思うこともたくさんあります。死ぬまでに、色々、調べて、書き置きたいと思います。

1.鹿野山

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日記、経験

紫蘇茶を作る

夏も終わると、今まで、便利に使っていた、紫蘇の葉の固くなり利用価値がなくなり、捨てられているのをみます。しかし、この紫蘇を、有効に使ってます。夏は、麦茶を飲んでましたが、そろそろ飽きてきます。捨てる、紫蘇を有効に楽しみましょう。

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日記、経験

ヒガンバナが咲くころです

9月下旬から、我が家の畑には、ヒガンバナが咲き始めます。すると、夏の野菜は、終わりで、整理します。近所のカメラマンが、ヒガンバナを撮影に来ます。立派に見えるカメラを持っているので、プロかと、おもいましたら、定年後のアマでした。弟の畑ですが、毎年、少しずつ、増やしているので、結構目立ってます。もともと、ヒガンバナは、毒草で、アルカロイド毒がある植物で、ネズミとか、モグラを退治するために、畑や田んぼのあぜ道に、植えられたそうです。今でも、あぜ道には、多く生えています。ヒガンバナは、種では、増えない植物だそうで、人間が球根で増やしてきたのです。

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旅、遠足

行基によって創建された延命寺

袖ヶ浦市の観光ガイドに、神亀元年(724年)に行基によって創建された延命寺があると知りました。聖武天皇が、創建にあたり、この地域の荘園を寄付したとあります。昔、母親に連れられて、行ったような記憶がありますが、60~70年前の話で、記憶が確かでありません。袖ヶ浦の山側にあり、隣は、木更津市のはずれになります。ここには、袖ヶ浦市の有形文化財が、2件ありました。また、百地蔵もあるようでしたが、目立つ場所になく、見落としました。確かに、古いお寺でした。2つの文化財は
1つは、豊臣秀吉の「禁制」の文書ともう一つは、僧侶の行のお守りのようなものとおもいます。それを作る、版木です。2つ目の現在袖ヶ浦市の郷土博物館に保管されていまして、ここでは、見ることができませんでした。説明用の看板だけでした。

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日記、経験

ガネーシャの会

現在のトップの話題です。総裁選挙で菅義偉官房長官が立候補しました。報道では、自民党の無所属の議員が、十数人のグループが、初めは、安部さんの後任には、ならないし、興味がないと言ってましたが、このグループ、ガネーシャの会が、菅さんを促したそうです。いつの間にか、最有力候補になりました。
政治は、まったくわかりませんが、ガネーシャという言葉を聞いて、25年前ごろ、インドで仕事をしていた時に、こんな、神様の名前を聞いたような、記憶があります。インドの神様は、非常に多様性があり、名前が色々、変わるので、私には、とても覚えきれませんが、発音は、なんとなく、親しみがあります。