カテゴリー
旅、遠足 日記、経験

チバニアンを知る

コロナ以前は、週4回、内房線の五井駅に、水泳のために通ってました。五井から、小湊線が出ており、千葉の奥に入ってゆきます。そこに、話題のチバニアンがあるとは、知ってましたが、なかなか、行けませんでした。コロナで、GO To何とかは、関係がないので、いずれは、訪ねてみたいと思ってました。訪ねるにしても、多少の知識があった方が、楽しいだろうと思い、勉強してみました。
2021年4月現在、コロナが、収まらず、ワクチンも、当面は、打てそうもありません。政府は、7月までに、65歳以上は、打てると言ってますが、実態は、あと、8カ月、すなわち、年内は無理と思います。
我が町の、実態で見ると、私の計算では、8カ月は、無理です。
ワクチンの打つ会場を用意するなど、意味がない。ワクチンが足りないのです。ワクチンを用意してから、ワクチンを打つ会場が必要ですが、ワクチンがなければ、まったく意味がありません。

日本は、ワクチンが、作れない、国になったのです。嘆かわしいですが、これが、実態です。

コロナが、収まったら、ワクチンが打てたら、現地を視察して、再度、Blogしますが、まずは、これまでに、勉強した部分を公開します。

カテゴリー
旅、遠足 日記、経験

春の袖ヶ浦公園

房総半島の、真ん中にある、上総の国、袖ヶ浦市は、江戸でいえば、品川とか、葛西に近いところで、昔から、関係のあったところです。江戸前のアサクサノリは、東京湾沿岸で獲れました。品川のはずれは、金沢八景までが、のりの産地と思います。
海苔の、季節は、11月頃から、3月初めくらいまで。海苔が終わると、菜の花が咲き、桜の季節です。4月からは、今では、潮干狩りの季節です。冬は、東京湾越えに富士山がはっきり見えるころですが、4月になると、富士山もぼやけてきます。

袖ケ浦公園は、袖ヶ浦のおくにあり、その先は、東京ドイツ村です。東京と名がつく施設で、東京から、一番遠い施設だそうです。

袖ヶ浦公園は、その近くにあります。

[ad01]

1.春は、桜!!

袖ケ浦公園は、上池と下池があります。この両岸に桜が咲きます。

駐車場の桜、春、一番で咲きます
公園入口にある、民家の桜。毎年、桜の下で、バーべキュー。楽しそう!

公園の桜では、ありませんが、入り口の見事な桜です。

上池、この池を1周、1.6kmを桜が囲んでます。手前は、八重桜ですが、今年は、3月25日で、咲いてます。例年より、10日くらい早いのでは?
上池の奥から、堤をみます。堤は、八重桜です
上池の奥。
コロナでなければ、花見会場。一番奥です。
奥にある、金魚草。
ソメイヨシノではない、原種の山桜。房総半島には、どこの山にもあります。白い桜、さくらん坊、実がなります。子供のころは、食べました。ソメイヨシノは、実が食べられません。
桜の前、3月初め。木蓮が咲きます。
白桜。ソメイヨシノとは、違います。
夏には、スイレンと、菖蒲の池です。
堤の八重桜
カテゴリー
日記、経験

メープルシロップを絞る

2020年の秋に、メープルシロップを作る計画を立てました。目標とする気を選びました。死んだ兄貴が、植えた、カエデの木を選びました。ウリハダカエデ!!
私が、調べた限りでは、兄が植えたカエデは、ウリハダカエデです。この木が、実家の兄の畑に、3本は育ってました。兄が植えた木は、多分、50年以上たっている、幹回り1m位の巨木です。弟の提言もあり、この木から、メープルシロップを作ることを計画しました。以前のBlogにあります。色々、調べた結果、千葉、本州の南部では、3月初めから、樹液が出るとありました。そんなわけで、3月3日に、カエデに、穴をあけて、樹液の採集をしました。Blogでは、東北地方の採取の様子がありましたが、とりあえず、最終の計画をしました。

カテゴリー
旅、遠足 日記、経験

養老川川口の河津さくら

伊豆半島の河津桜が、発祥の地ですが、房総半島には気候が似ているので、河津桜が結構、植えられております。南房州が多いです。保田川とか、佐久間ダムとか、規模も大きいです。2月22日に五井、私の水泳の根拠地ですが、ここには、養老川が流れております。この川下に、河津桜が植えてありました。今が満開でした。両岸に植えられておりますが、片側は、残念ながら、手入れがされてません。五井川の海岸、山側を見てきました。

カテゴリー
旅、遠足 日記、経験

冬の臨海公園

東京湾も、風が吹くと、湖ではないです。かなりの波の強さがあります。東京湾が、埋め立てられていなかったころ、私が小学生のころ、70年前ころは、海岸から4km、一里くらいは、引き潮時には、海水がない干上がった海でした。今は、埋め立てられているので、埋め立て先に出ると、上げ潮時には、2mくらいの水深になってます。

2月17日は、北海道に発達した低気圧があり、台風のような風がありました。埋め立て側の、車屋に点検をしてもらうために、海側に行きましたので、東京湾の中を見てきました。

カテゴリー
旅、遠足

袖ケ浦公園の冬景色

昨年の秋ごろに、袖ヶ浦公園を紹介しましたが、散歩公園として、冬編を紹介します。房総半島の東京湾側で、半島の真ん中ぐらいの位置は、冬と言えども暖かいと感じます。特に東京湾側での沿岸から、1~2kmぐらいは、特に、暖かいと思います。沿岸から、4kmぐらい離れたところとは、大分違います。千葉で雪となっても、沿岸は、雪な降らないことが、しばしばです。
この公園は、沿岸から3kmくらいか?我が家は、沿岸から1kmくらいなので、ほぼ、同じくらいです。春は、桜ですが、この季節は、渡り鳥です。

カテゴリー
日記、経験 未分類

目白 来る

我が家には、冬と春先、夏にかけて、目白がきます。10年前には、家のヤマボウシの木に、巣を作り、子供を育てました。

このコロナ騒ぎで、ステーイホームの間、目白が目につきます。窓から、気づかれないようにして、カメラを向けました。用心深く、人に気づけば、飛び去ります。また、ムクドリが同じ餌をめがけて、目白の食事を邪魔します。
我が家を訪問する、目白を紹介します。

目白は、鳥綱スズメ目メジロ科メジロ属に分類されるようです。
鳥綱は、チョウコウと読むそうです。祖先は、2億年前から、1億5千年前だそうで、人類より先輩です。Zosterops japonicusが学名だそうですが、何となく、日本と関係がありそうです。インドネシアから、樺太当たりません、住んでいるようです。

食性は、雑食だそうですが、花の蜜や果樹をこの実、子供を育てるときは、虫も捕食するようです。花に合わせて移動して、桜の季節などは、よく見ます。

我が家では、ミカンを用意します。子供のころ、弟が目白が好きで、良く捕まえて、育ててました。その時は、サツマイモを練って与えていたのを覚えてます。当時は、野鳥保護法のようなものは、無い時代です。その経験があり、サツマイモの練ったものを準備しましたが。やはり、ミカンが好きらしいです。

カテゴリー
日記、経験

渋沢栄一と古河市兵衛

江戸末期、第11代将軍、徳川家斉の時代、古河財閥の創設者、古河市兵衛は、京都岡崎に、代々庄屋を務めたが、落ちぶれた木村長右ェ門とみよの次男として、生を受けました。時は、天保3年3月16日、1833年4月16日 天保の大飢饉、天保4年から10年まで続いた、大飢饉でした。江戸幕府が大政奉還をして、明治が始まるまで、35年前に生まれたことになります。
一方、渋沢栄一は、天保11年2月13日、1840年3月16日、埼玉県深谷市血洗島に、渋沢市郎右衛門元助,母エイの長男として、生を受けました。古河市兵衛の方が、9歳上になります。
もう一人、古河市兵衛が、養子にした陸奥潤吉の親、陸奥宗光は、天保15年7月7日、1844年8月20日和歌山県和歌山市吹上で、伊達宗弘と政子の6男として、生まれます。伊達政宗の後裔と伝えられております。1867年に坂本竜馬の海援隊にはいり、竜馬の信頼を得ております。

小生が、お世話になった、古河財閥の会社で、入社時に教わった、古河市兵衛の話を思い出しながら、と言っても、56年前の話で、ほとんど覚えてませんが、渋沢栄一との関係は、多少、記憶に残ってます。色々、文献を調べながら、記述してみます。

カテゴリー
日記、経験

メープルシロップ計画1

2020年11月4日に、兄がなくなった。弟から、実家の畑に、大きなメープルシロップの木がある。それから、シロップを作ってはと、話がありました。温暖な千葉で,そんなことができるか、調べてみました。カナダで有名ですが、千葉で、出来るなら、やってみようと思いました。兄の供養になるかも?

カテゴリー
旅、遠足

鹿野山をたずねる

千葉で生まれて、育った小生は、子供のころから、鹿野山は、聞き覚えた場所です。これまで、何度かは、訪れたことがありますが、桜並木があったことぐらいしか、記憶にありません。今回、Blogを初めて、是非、訪問したいと思ってました。
今回、コロナの影響で、色々、制限がある中で、偶然に機会がありましたので、鹿野山を訪ねました。歴史のある神野寺とか、九十九谷を訪ねたいと思いました。また、ここ1,2年前に知った、阿久瑠王のことも知りたいと思いました。千葉、房総半島は、昔は、未開の地と思って育ちました。80歳間際になって、歴史を勉強してみると、とんでもない間違いと、気が付きこの頃です。しかし、疑問に思うこともたくさんあります。死ぬまでに、色々、調べて、書き置きたいと思います。

1.鹿野山