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farmer 日記、経験

4年目の彼岸花

このブログを始めて、4回目のヒガンバナを書きます。実の兄がなくなって、2回目のヒガンバナを見てます。弟の畑にヒガンバナがありますが、弟が、株を増やしたので、ヒガンバナの群落は、大きくなってます。モグラ退治と言ってましたが、何となく、モグラが少なくなったような気がします。兄貴をヒガンバナを愛していて、お墓の周りは、ヒガンバナだらけになりました。

1、今年9月15日頃のヒガンバナ

9月中旬、15日ころ、早めのヒガンバナは、咲き始めました。
枯草、刈りとった草を押しのけて、咲き始めました

2.彼岸の日のヒガンバナ

真ん中に、白いヒガンバナがあります。去年と比べて、増えてません。
ヒガンバナは、確かに、彼岸の中日頃が最盛期です。
花の名前は、忘れましたが、この辺では、お墓に飾る花です。

3.ついでです。

冬用の野菜の種をまきました。両側が、大根、真ん中が、手前から赤かぶ、ほうれん草、ニンジンです。

今年は、サツマイモ、サトイモ、ショウガの収穫が残ってます。サツマイモは、イノシシとの、競争です。

来年も、ヒガンバナの報告ができることを祈ってます。

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東芝製扇風機を修理する

夏の必需品である、扇風機が、故障して困ってました。インターネットで調べても、メーカも直してくれないと報告してます。2015年に購入したのですが、初めは、東芝製、特に問題がありませんでしたが、3年くらいたって、C2というエラー信号が出て、停止してしまう、故障が出るようになりました。初めは、設置場所が、不安定なためか?床に置いてみるなどしていました。
今年に入り、初めは、稼働するのですが、1時間くらいすると、止まって、C2エラーが出ます。もはやこれまでと諦めかけました。どうせ捨てるならと思い、分解してみました。インターネットで、接続部を綿棒で掃除するとありましたが、全く効果は、ありませんでした。元エンジニア―です。分解して、というより、組み立てなおして、構造を研究しました。

その後、1か月以上運転できているので、これでよいかと思い、アップします。

1.外観

結構高級は、扇風機です。黒い部分は、エラー表示が出ます。
トップに、立派な、注意書きがあります。2年目か、3年目で故障する、扇風機に、10年以上使うなとは、冗談が過ぎます。

2.組み立て式

羽部分と、本体が分離式になってます。接合部に丸のマークがあり、固定のボタンがあり
白と白のマークを合わせれば、分離できます。多分、保管を考えてかなと思います。
分解すると羽根と本体、台に分かれます。上の写真のピンのがコネクターの雄と思います。
下の第二空いた5の穴かソケットでしょう。この部分で通電できるのです。

3.止まる原因は、このコネクタ部分にあると推定

コネクターのピンに相当する部分に汚れ多少あります。この部分を百金で買った100円のダイヤモンドヤスリで、掃除しました。
問題は、台の部分にある、メスの方です、手での部分を回転すると、接合点の金属があります。六角ボルトで穴に差し込んで、金属部分を回転させながら、掃除をしました。
この金属部分がお粗末ま設計になってます。板をまげて、穴にしてます。
受け側の金属が見えます。この中身は見えませんが、通電時スパーク等で、接点機能が劣化するのでは?ここは、六角ボルトで、ごしごし、擦りました。これは、C2エラ―が出たら再度研磨するしかないか?10年はとても持たないと思います。

この写真を撮るのは、大変でした。

再度組み立てて終わりです。
今の時代、扇風機を運転するにに、説明書読む人いる??ここに注意書きがあることは、販売時から、相当の故障があったのでしょう。こんな注意書きがなくても済むような、製品を売ってください。こんなお願いは、お笑いです。

最後に、直すまでに、上さんから、何度馬鹿にされたか!!

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令和4年、袖ヶ浦公園

今日は、6月18日、千葉の梅雨の真っ盛りです。畑のジャガイモの初堀をしてきて、昼に、蒸かして、バタじゃがにして食べました。びっくりするくらいに、おいしかったです。新鮮が一番か?半分は残っているので、梅雨明け後に、掘り起こしたいと思ってます。

所で今季説は、花は、アジサイです。公園には、色々のアジサイがありますが、私の畑のアジサイ、本当は、弟の畑を借りているので、私の花ではありません。その花も紹介します。

1.アジサイの原型

アジサイは、日本が原種だそうです。江戸末期にシーボルトがドイツに持ち帰り、西洋アジサイとして、進化したそうです。

これが、原種かどうか、保証の限りではありませんが、こんな形のアジサイを、ガクアジサイと呼んでいるようです。
これもガクアジサイか?

2.西洋アジサイ

この3つが、一般的な西洋アジサイ。どこでもあります。

3.私が、これは、綺麗と思ったアジサイ。

私の借りてある畑の隅に、あるアジサイです。

これは、花弁だそうですが、小さくて、綺麗です。
咲き始めは、こんなです。これが、変化する。ここがアジサイの、魅力です。

時間を見つけて、色々、種類を集めたいと思います。

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袖ケ浦公園菖蒲園

令和4年、袖ヶ浦公園の菖蒲園を紹介します。5月30日に、袖ヶ浦公園の近くを通りましたら、6月10日に菖蒲まつりを行うと案内が出てました。ならば、すでに、1部、花は咲いていると思い、訪ねてみました。

1.咲き始めの菖蒲

まさに、咲き始めの菖蒲。咲いているのは、50%以下。
全体的に、黄色が多いようです。枯れたのがないのが、気持ちがいいです。
大分咲いている部分もあります。
スイレンもあります。
スイレンは、6月からのようです。ピンク系のスイレンもあります。以前は、蓮もありましたが、最近は、亡くなったようです。

2.最盛期に、チャンスがあれば、紹介します。

6月は、アジサイが咲きます。その時に、再度、Blogに上げます。

3.6月12日に、再度、袖ヶ浦公園を、訪れました。

ほぼ、最盛期でした。
スイレンもありますが、いまいち、早すぎたか?
この花は、咲く時間が、短い。すぐに枯れます。枯れ花を処理すれば、綺麗でしょう?

以前は、蓮の花もありましたが、無くなってしまいました。

3項は、6月18日に追加しました。

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日本国憲法の前文

2020の東京オリンピックが終わり、ロシアは準備万端でウクライナを侵攻した。演習と偽り、ウクライナのネオナチスを倒すなどと、屁理屈を付けて、侵攻した。日本だけでなく、世界でも、ロシアは、そんなことはしないだろうと予想していた。ロシアを研究している人々が、そう信じていたのではないか?しかし現実は、全く違った。世界では、小国が、又は、小さな地域が侵攻して、領土を奪うのではなく、大国でさえも、力ずくで、問題を解決しようとするのだと、気づかされたのです。誤解を恐れずに言えば、アメリカも、中国の同じことをする可能性はあると、思います。
日本でも、憲法改正が議論されているが、ほぼ、全くの手つかずと思ってます。憲法は、何が書かれているのか、誰でも調べられます。日本の憲法の理念は何なのか?この理念が正しいのか?現実に適合しているのか?まずは、この確認をすべきと考えます。

1.日本国憲法の前文

日本国憲法の前文、後半の部分にこう書かれている処がまず気になります。

日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。

日本国憲法前文より

この認識で、日本国憲法は、作成されているのかと、唖然としました。新聞等で、右派の人が指摘をしていますが、

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、日本に近隣は、そんな国は在りますか?又は、信頼できますか?
憲法とは、そんな理想論で成り立ってよいのでしょうか?

ジョン.レノンが歌っている、イマージンのいう、夢見る人ではありませんか?
今回のロシアのウクライナ侵攻は、現実は、そんなに甘くないことを、物がったって、いるのではないか?

そして
「われらの生存と安全を保持しよう」決意した。
とあります。これは、幾ら戦争に負けたとはいえ、アメリカの脅迫されて、決意したと、言わされたのではないか?
こんな、あやふやな、理想論に信頼を置けますか?憲法学者は、何を考えているのか?

またそして
「専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」において、名誉ある地位を占めたいと思う。

名誉ある地位は、大いに結構。問題は、その認識です。
「専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会」とは、反対の国に囲まれているのです。ロシアと人中国、北朝鮮などは、専制と隷従の見本ではないか?

2.自衛隊の議論

前文を見直しをして、自衛隊の位置づけをすればよいと思います。国軍を認めればよい。悩むことはない。
ただし、国民の3分の一は、左派で反対するでしょう。
中國が、台湾に侵攻してきたら、日本は、巻き添えを食う。地政学的に、やむをえないのではないか?その時の為にも、日本は、国防力を上げざるをいないのではないか?

ロシアのウクライナ侵攻がなければ、中國に対しても、こんなに用心しなくともよかったのに!
ウクライナは、ロシヤに負ければ、多大な犠牲を払うでしょう。日本が、第2次世界大戦で、どんなにロシヤ、ソ連なら、ひどい目にあったか、思い出すべきです。アメリカの原爆投下も、ひどい話ですが、ソ連もひどい国です。ウクライナに原爆を使うかも!アメリカでもやったのですから、困ったら、やる。

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八重桜 in 袖ヶ浦公園

今まで、袖ヶ浦公園の桜は、池の周りのソメイヨシノだと思ってました。八重桜が、あるのは、知ってましたが、葉っぱが多くて、綺麗には、咲かないという、先入観がありました。4月中旬でしたが、そういえば、八重桜があると思い、袖ヶ浦公園の八重桜を、見に行きました。

1.八重桜

八重桜

八重桜をみると、葉はありますが、花が極めて大きいです。葉が目立たないです。これまでの先入観では、葉っぱの中に花があると思ってました。しかし、この様に、この時期、葉は目立たないように、花を引き立てております。

2.堤防からの展望

堤防一面に、八重桜があります。桜の下からは、多少、葉も見えますが、遠方の上からは、花しか見えません。
花の咲いている、濃度が、濃く感じます。

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源頼朝 in 袖ヶ浦

令和4年の1月から始まった、NHKに大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は頼朝、伊豆の石橋山の戦いで敗れて、房総半島に、逃げていてから、身近になってきました。京都では、保元平治の乱があり、最終的には、源氏が破れ、頼朝は、伊豆になされて、20年辛抱しますが、以仁王の反乱により、頼朝自身が再起をしますが、石橋山で、大庭景親に敗れて、安房の国に逃げてきました。
今の鋸南町竜島、保田と岩井の間、鋸山の南側、日本寺の注ぐ近くです。伊豆の真鶴から、船に乗り、三浦半島を抜けて、東京湾を渡ったのです。1180年の8月。夏だから、寒くはないか?

この竜島から、房総半島の豪族を、味方に付けで、鎌倉を目指します。一宮の上総常広、千葉の常胤らを味方の、鎌倉に上がりました。

その時に、道のりが、色々なところに残っております。単なる、言い伝えもあるようですが、そこまでは、精査してません。コロナの中で、私が歩いて、気になったところを、記述したいと思います。

1.袖ヶ浦の鎌倉街道

袖ヶ浦公園の上池の放流口の近くに、近くの案内図があります。
この案内図に、昔から伝えられる鎌倉街道が入った、地図があります。

袖ケ浦市の説明の上のところに、鎌倉街道があります。袖ヶ浦公園の上池から右に伸びてまして、上の市原市の下の境に続いております。市原市の中に、後で、説明する、頼朝と関係する、御所覧塚があります。その近く200mくらいのとこに、万騎坂があります。
この鎌倉街道は、君津市、木更津市から、袖ヶ浦市、三作から、わかっているようです。
野菜畑の中を、2kmくらい進みます
次の野田というところ、交差点のところに、鎌倉街道の説明があります。左側下に、源頼朝北上経路の図があります。
ここも、畑の中を真っすぐ進みます。県道300号に市原方面に進み、39ゴルフ場の看板を左に折れると、辻の通りに付きます。そこが、野田から次ぐく、鎌倉街道です。

2.源頼朝の北上経路の鎌倉街道

頼朝が、1万騎を集めて、閲覧した、御所覧塚です。鎌倉街道に入るとすぐ、目に入ります。
御所覧塚です。
この道路が鎌倉街道です。君津、木更津、袖ヶ浦公園方面です。公園お先に三作があり、ここに、頼朝は、1180年の9月15,16に表れたそうです。この道の真ん中が袖ヶ浦と市原の境界だそうです。御所覧塚は市原側。
市原をみる。ここから、200mぐらい先に、万騎坂があるそうですが、今回は見逃しました。地元の人にも聞いてもわかりませんでした。

3.袖ヶ浦に入った、頼朝軍はこの道のほかに、海への道を頼った。

昔からある土地ですが、飯富から、蔵波、久保田、代宿を言う道があったそうです。この途中に昔から、鎌倉街道と呼ばれている道が、あります。

浜宿といところに、山道があり、昔から、鎌倉街道と呼ばれております。
この道は、昔から、鎌倉街道を言われておりまっした。昔から、お墓は、道の近くに作ってましたので、私の祖先の墓は、この道にあります。

4.旗立の台地

この海岸よりは、台地になってます。昔から、「ハッタテ」の下と言ってましたが。「旗立て」だということが、わかりました。

頼朝が、千葉の方に合図を出したとも。昔、川鉄等の工場がなかったころは、筑波山まで、この辺の台地からは、見えました。
東京の国会議事堂も見えましたの。100年前は、もっと見えたのでは?

水は、東京湾、右は埋め立て地。台地の下は旧16号と内房線が入ってます。頼朝時代は、台地の上を通ざるを得なかったのでは?
台地は、海岸に沿って、道が走ってます。この台地は、昔、のりの漁師は、この台地を目印に、帰りの海岸を探したのでは?海から見て、台地の一番千葉寄りのところです。「ハッタテ」は、海は深いと言ってました。港でもあったのか?

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山野貝塚

袖ケ浦市には、12か所の貝塚があるそうです。その最大なのが、山野貝塚で、全部の発掘は、終わってないようです。このコロナ騒ぎで、市の設備の水泳プールは使えず、健康のために、ひたすら、市内の散歩をしております。そのコースもできるだけ、人に合わないようなコースを選んでおります。その中で、この貝塚は、繁華街からは、多少離れております。我が家から、歩いて、1時間近く、携帯の歩数計で、6000歩くらいのところです。往復で、2時間くらい。もはや、早くは歩けないので、ゆったりとです。

千葉県は、貝塚が多い県のようです。全国で2000か所くらいあって、700か所は、千葉だそうです。私が知っている貝塚は、大森貝塚ですが、千葉では加曽利塚貝塚でしょう。縄文時代4000年前くらいの貝塚だそうです。

1.山野貝塚

山野貝塚の入り口にある、案内です。袖ヶ浦の山の中というところか?袖ヶ浦公園の近く。
徒歩で、行かないと、車の交換が、大変なところです。水道の配水所があります。団地のはずれの蔵波中学校から、1kmくらい離れたところ。

近くには、古墳とか、貝塚がたくあんあります。
ここが、山野貝塚。単なる、野原です。この下が、貝塚になっているらしいです。
山野貝塚の案内看板。

山野貝塚は、縄文時代晩期、4000年前から2300年前の貝塚だそうです。


この時代の房総半島は、現在の形と異なってます。2万年前の氷河期が終わり、6000年前に温暖化が進み、縄文の海進という、海水面が13mくらい進んだそうです。その姿です。山野貝塚は、海岸の先端にあたことがわかります。東京湾は、皆潮干狩り場だったのす。
この貝塚の入り口の道路のわきには、貝殻が沢山見えます。海岸から、4kmくらい離れた山の中ですので、本来なら、貝殻などは、見当たらないところです。しかし、袖ヶ浦には、こんなに大きくはありませんが、こんな風景は、沢山なります。最近捨てたとすると、貝が白すぎます。

貝塚は、食糧の貝のほかに、動物の骨とか、土器も捨てられていたようです。多分、快適なところでは、無かったはずです。ハエもいたのでは?したがって、集落のはずれにあったか?素人でわかりませんが、私は、想像します。

2.縄文時代とは、

以前に、チバニアンについて記述しましたが、その時に、地質時代を自分風にまとめました。と言っても、単に、情報を集めただけですが、再度、掲載します。

この時代が終わると、弥生時代で、稲作が始まります。それ以前に、東京湾沿岸は、人が住んでいたのです。袖ヶ浦の高台の畑などを、はぎ取ると色々は、住居後の遺跡があるようです。何度か、発掘現場を見たことがあります。

3.周りの風景

この写真の丘の上に、山野貝塚があります。前は、田んぼですが、周りは、小高い丘陵になってます。平たいところは、多分、昔は海。と言っても、浅瀬の海だったのでしょう。
ここから、貝を集めたのでは、と思います。房総半島は、何度も、富士山の噴火灰を受けいる、はずで、関東ローム層を形成してます。そのために、落花生、サツマイモが取れます。
袖ケ浦公園の展望台から、東京湾のに入り口側、ここからは、木更津、君津方面を見るとこの下は、海だったと思われます。平野の向こう側は、やはり、小高い丘陵になってます。
ここが、海だったとすると、静かな入り江ではあなかったか?浅瀬で、貝は、一杯取れたでしょう。
丘陵の台地は、火山灰で、さらさらした、土です。今は、大根畑になってます。
キャベツ畑です。
貝塚の周りの畑には、貝の姿もありません。
余談ですが、田んぼの中に、住宅がいっぱい。丘陵の台地も、団地だらけです。奥に見えるのが、君津製鉄所です。

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旅、遠足 日記、経験

袖ケ浦公園冬の夕方

令和3年12月18日(土)16時過ぎに、袖ヶ浦公園を散歩しました。少し寒くなったので、冬鳥が集まるころと思い、夕方散歩することにしました。さすがに、人は少なく、静かでした。
15時過ぎには、月が出ておりました。渡り鳥の数は、何となく、昨年よりは、少ないような感じがします。これだけの渡り鳥の数は、数えるの能力は、私には、ありません。

私が、子供のころ、70年前ごろ、私の実家は、東京湾の海岸にありました。台風の時は、波の音が、聞こえました。普段は静かな海でした。冬には、多量の鴨が、東京湾を埋めておりました。今見る、こんな量、数ではありません。海が、真黒に感じました。それを不思議とも思いませんでした。自然とは、こんなものと思ってました。あの渡り鳥は、どこへ、行ったのか?

1.夕方の富士山

房総半島は、高い山がないので、どこからでも富士山が見えるようです。私の町からでも、隙間があれば、富士山は見えます。
朝夕は、東京湾越しに、富士山は見えます。特に夕方は、太陽が沈む、方向なので、綺麗な夕焼けを一緒に見えます。朝は、反射で、冬は、雪に覆われた、富士山が見えます。東京湾に浮かんだ富士です。
18日は、公園の近くの駐車場の隙間から、見えました。もう少し暗くなると、見えなくなる、寸前でした。17時半ごろです。
本当は、海岸の臨海公園にでて、撮影すれば、もっときれいです。

上手く、写真になりませんでした。東京湾から、4kmくらい離れてます。
スマホでは、こんな程度?

2.渡り鳥の数

11月初めよりは、多くなったと思います。渡り鳥は、北からくるものと思ってます。八戸にいたころ、近くの池に行きましたが、狭い池に、白鳥も来ておりましたが、さすが千葉は、来ないようです。

夕方、渡り鳥は、水辺に集まるようです。
寝るには、早すぎると思います。

3.夕方、17時過ぎ、月が出てました。

まだ、明るく感じたのですが、水面に、月影がありました。

こんな写真を撮って見たいと思ってました。房総半島の冬は、晴天の日が多いです。ただ、風はあります。風がなければ、冬でも小春日和です。

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晩秋の袖ヶ浦公園

令和3年の晩秋、コロナで人混み遠慮して、散歩するには、わが町では、袖ヶ浦公園です。毎年、Blogで袖ヶ浦公園を紹介してますが、10月の初めから、終わりにかけて、公園の池に、渡り鳥が、来始めました。まだ、少ないのですが、1月頃は、」こんなにという、感じです。千葉のここでは、綺麗な、紅葉を期待しるのは、無理ですが、渡り鳥で、冬が近づいていることを感じます。

1.10月初めの袖ヶ浦公園の池

波間に、多少のわた鳥が見えます。
多少みえます。
これは、10月の末ですが、多少増えました。

2.1800mの散歩道

この池一周が、約1800mです。われわれ、歳よりは、1周で十分ですが、若い人は、何周も走って、回ってます。冬でも風が、強くないので、歳より向きです。袖ヶ浦には、海岸に臨海公園がありますが、冬は、風が強く、歳より向きでは有りません。1日、7000歩の散歩道です。