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令和3年、秋の収穫

昨年度は、秋に、薩摩いのも収穫を送らせて、イノシシに全部食べられました。今年は、早めに、収穫しました。サトイモの苗は、50本近く植えまして、結構な量を確保しました。

また、新しく、枝豆を植えました。60株くらい植えました。今、10月末、29日ですが、結構実がなりました。多少虫がついてますが、食べられます。

1.サトイモの収穫

前方は、試し掘りをした後です。20本近くあります。もう一列ありましたが、左側ですが
すでに、掘り起こしました。ここは、安穏芋です。隣は、紅あずまです。安穏芋は、千葉には向いていないようです。
10月に入ってから、虫が出て、葉は、このように食い荒らせてしまいました、しかし、芋は関係がありません。イノシシに食われるより、幸せです。
これは、紅あずまです。安穏芋に、紅あずまが、混じってしまいました。しかし、一本の苗から、こんなに取れます。結構おいしいです。
安穏芋です。大きくなりません。千葉では、気候があわないようです。来年は、止めます。
大学芋にすると、食べられるようです。

2.枝豆

50粒くらい植えました。肥料もやらず、ただ植えただけですが、肥料が残っていたのか、こんなに、こんもり育ってしまいました。
こんなに、実を付けました。とても、食べきれません。近所の知り合いに食べてもらってます。

3.反省

冬に向けて、葉物を作りました。ほーれんそうを植え付けました。多すぎると思います。春菊、小松菜、パクチです。これも近所に配らないと食べきれません。

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令和3年ヒガンバナが咲きました

自然は、正直で、同じ季節に同じ花が咲きます。野菜作りで、ほぼ、毎日、畑に行きますが、9月13日ころに、ヒガンバナの蕾を見つけました。9月19日、1週間でほぼ、満開になりました。この間に、雨の日もありましたが、元気に、育ってます。
この季節は、サツマイモを、イノシシがねらっておりますが、今年は、まだのようですが、我が家のさつまいもも、時間の問題です。イノシシが食べる前に、試し掘りをしましたら、今年は、まーまの出来のようです。大根の種まきもしました。

1.9月13日、彼岸花の蕾をみつける

9月13日、花芽は、大きくなってますが、花は、開いておりません。

蕾もあります。
昨年もありましたが、一株だけ白です。園芸株だそうです。園芸株には、黄色もあるようです。

2.9月19日、雨天が2日ほどありましたが、ほぼ、満開です。

ほぼ、満開になりました。
昨年、株を増やした後です。弟がやってますが、毎年、株を増やしてます。
畑の真ん中あたりです。
畑の奥にもあります。
古株の部分です。株が大きくなります。
梅の木の下は、ほぼ、ヒガンバナになりました。

3.イノシシの季節です。

今年は、サツマイモもやってます。ヒガンバナが咲くころは、山からイノシシが、降りてきます。昨年は、サツマイモは、一晩で、すべて、食べつくされましたが、今年は、イノシシが出る前に、サツマイモの収穫をしたと、考えております。ヒガンバナは、毒があり、動物は、食べないそうですが、ヒガンバナを食べなくとも、その他の、食べ物は、上手く食べるようです。

このBlogをつくるとき、スマホの写真を張り付けようとしましたが、容量が大きくて、張り付けられませんでした。paint.netで原画を縮小しましたら、張り付けられました。参考まで。

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農事報告

2021年の現在の農事報告をします。畑を初めて、10年近くになりますが、今年は、定番のキュウリ、トマト、ナス、オクラを植え付けました。そこ他、ズッキーニョ、サトイモ、サツマイモを植え付けました。昨年は、サトイモは、見事に、イノシシに掘り起こされました。収穫ゼロでした。

今年は、トマトを大型に切り替えましたが、見事に失敗です。6月初めに、皆、腐りました。大型は、難しいです。

その中で、キュウリは、豊作です。6月15日ごろから、毎日10本位取れます。7月末くらいまで収穫できるか?

オクラは、9月頃まで、収穫できそうですが、8月の中旬くらいから、味が落ちます。

7月中旬に、地這うのキュウリを植え付けました。これは、8月の末から、収穫できるかも?今年は、枝豆を先週植え付けました。

1.収穫

収穫は、コントロールできません。自然のままです。獲れるときは、どこでも取れる。自宅消費は、限られてます。近所への、お裾分けは、多分、迷惑以外の何物でもない。

一日で、キュウリ10本、ナス5個、オクラ20本位取れると、自宅では、どうにもなりません。今年は、ぬかずけを作ってもらってますが、食べきれません。必然的にお裾分けで、近所に迷惑をかけます。

2.植え付け

手前は、サツマイモ。真ん中の高い部分の、左側がなす、右側がキュウリ、真ん中の何もない部分が、失敗したトマト。跡に見えるのがオクラです。
キュウリは、こんな具合。ますっぐなのは、高級品です。
ナスは、水やりが大切。秋までもちます。
オクラの花も食べれるようですが、食べたことは、ありません。一日で、多くくなるので、毎日取る必要がある。
ズッキーニョ 長持ちしない
左がオクラ、右が、サトイモ。

3.自宅のゴーヤ

今年は、自宅のグリーンのカーテンの下葉が、早くから、枯れます。7月の初めから、枯れ始めました。近所のゴーヤも同じです。私の感じでは、秋が早いのか?

このゴーヤは、我が家でコーヤジュースを作ります。リンゴ、バナナを加えると、苦みがありません。健康の元。

4.薩摩芋のイノシシ対策

サツマイモは、9月21日に収穫しましたが、画像をスマホの圧縮画面で、撮影しましたら、WPには、UPできませんでした。

もとの画面に戻しました。pain.netで圧縮して、今後つづっけます。反省!!

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中国と付き合う

現役時代に、中国と関係がありました。30年前ですが、当時の中国は、貧しかったと思います。まだ、自転車の時代で、こんなに、自転車があるのだと思いました。西安を訪問しましたが、広大な田舎でした。西安の郊外に遊びましたが、まず、トイレにはまいりました。当時の日本人では、安心して、使える人は、いなかったのでは?それから、10年くらいして杭州を訪れましたが、自動車の時代になってました。ものすごいスピードで、開発がされてました。あっという間に、開発が進みます。1年後の訪れると、景色が、変わってます。その後、テレビで、見てますが、相変わらず、すごいスペードだなーと思います。

変わらないのは、共産党です。西安の時代に、すべての会社には、共産党員が、駐在していると知って、びっくりしました。今でも、変わりはないようですが、共産党支配が、徹底していることです。私のような、右翼は、どうも、共産党の世界は、不安と信じられない気持ちが、働きます。

7月1日で、共産党の創立100年の祭りが、行われております。私なりの、中国に関する気持ちを書いてみます。

1.民主党の時代

2009年から2012年の時代。鳩山由紀夫、菅直人、野田桂彦の時代。ここに、小沢一郎がおりまして、中国に媚を売っていた時代です。なんと、民主党の国会議員をはじめ、600人を引き連れて、習近平に会いに行き、皆で、写真を撮って喜んでました。多分、この時代は、中国にとっては、日本は、扱いやすい国だったでしょう。そのうえ、小沢は、習近平を連れてきて、無理やり、天皇に合わせたのです。天皇は、暇だと言って!!
この時代でも、ODAで中国に、お金を、貢いでいたのです。当時の日本の大使が、まだ、ODAを続けると言って、さすがに、そんな段階でないと、止めたと記憶してます。

今回の、共産党創設100年記念で、祝賀に、小沢、鳩山が、祝賀を送っているのは、昔からの付き合いです。
しかし、この他に、自民党の小沢シンパ、二階さんも祝賀を送ってます。この人たちは、中国のシンパなのです。公明の山口も、公明党を、中国で売り込むために、祝電です。

もう一つ、忘れられない、民主党の失敗は、尖閣諸島の中国船の侵入で、日本の警備艇に体当たりした、船長を、中国に返してしまったこと。これで、中国は、日本は、たいした国ではないと考えたろう!

この時代に日本には、聖徳太子がおくった、手紙の

日出所の天子、日没するところの天子に申す、恙なきや!の精神は、無いのです。

2.トランプの見方

トランプは、色々、非難はありますが、中国に対する、対応は、正しいと思います。日本を含めて、中国に対しては、いわゆる、中国が豊かになれば、民主国家になるという仮説です。日本もアメリカも、皆、その仮説に従いました。新日鉄、松下等の1流の企業が協力しました。
しかし、それは、全くの錯誤でした。豊であろうと、貧しかろうと、中国の共産党は、変わらないのです。多分、今後も変わらないでしょう。共産党独裁。

中国で事業したら、最後、すべてを、吸い尽くされます。それを、各国は、自分の利益のために、中国の言いなりになってました。特に、ひどいのは、ドイツ、自動車を売るために、国を挙げて、中国に、協力していたのです。特に、メルケルは、ひどい。

ドイツは、自動車のために、今後も、中国から、離れられないのでは!
残念ながら、日本も、日産が、初めですが、トヨタも中国に頼らざるを得なくなりました。この、数十年の間に、日本、日本の起業家は、現在の中国は、全く、予想できなかったのです。政治家は、なんと二階さんをはじめとして、中国の将来は、予見できてないと思います。せめて、実業界は、と思いますが、これも、哲学がなく、単なる、金儲け!
私も、現役時代に経営に、多少参画していた時代、日本の経営基準は、投資に関する採算性が、投資の基準でした。会社には、立派な、投資採算性の基準が、哲学がありました。投資したお金が、いつまでに回収できるか?

私が、反省するに、その投資が、環境問題とか、社会問題とか、広い意味での社会貢献に関する、指標は全くありませんでした。
そんなことは、考えられなかったし、経営陣にも全く、訴えるものはなかった時代です。

しかし、トランプが出てきて、中国に関して、一部の人が感じていた、基本的な問題を提起しました。世界が、中国の要求道理に動くことは、問題がある。技術を取り放題、中国では、中国に従え!世界の大企業が、中国に進出していながら、世界の基準とは、全く異なる、中国方式に従っていたのです。そこに、問題提起したのが、トランプです。

日本が導入に協力した、製鉄所をはじめとして、あらゆる産業が中国に、参入しました。日中友好協会とかいって、中国の言いなりの参入です。

それらが、将来、中国の人件費やすから、膨大な利益を生み出します。その結果、アメリカの製鉄業は、つぶれました。日本も、自業自得で、国内の製鉄業が、衰退しました。中国を助けたつもり、しかし、日本もアメリカも利用しました。なんでも安ければよい。経済採算性第一で、進んだ結果です。中国の人件費、高度化が進まなければ、人件費の安い、人口の多い中国に有利に働くのは、自然の理です。

この間に、アメリカには、つぶれる産業が多くありました。トランプは、これまでの経済理論を無視して、アメリカファーストを言い出したのです。白人も有色人種も、リッチと思ていた人が、そうではないと気が付き、トランプを指示したのです。

トランプは、中国は、豊かになったのにもかかわらず、ある時は貧乏だと言って、関税を安くして、技術を搾取して、膨大な利益を上げていることに、気が付き、貿易戦争を仕掛けたのです。中国の大国になったので、アメリカのに抵抗できたのです。

アメリカと中国は、国交断絶は、出来ないのです。お互いが、利用しあっているからです。

3.バイデンの時代

バイデンの次代になり、トランプの時代から、引き継がれた事項が、人権の問題です。香港、ウルムチの人権問題です。あらゆる非難に対して、中国は、全く、聞く耳を持ちません。中国にとっては、絶対に、譲れない事項ということを、理解する必要があります。戦争でもやって、徹底的にまけ、日本のようにならなければ、人権問題は、中国共産党にとっては、変えられない事項なのです。ウルムチの強制労働で、ユニクロ、パナソニックとう、多くの日本企業も猛撃されてますが、この日本の企業も、中国は、避難できないのです。日本の企業の経営哲学は、企業採算性の頭しかないのです。人権は、問題外。アメリカに仕方なく、合わせているだけ!中国の人権などどうでもよいのです。人権問題を基本的に考えるなら、まず。中国本土の、人権を解決っすべきです!しかし、これは、アメリカも手が出せないのです。商売をすべて失うからです。
ドイツもそうです。メルケルは、ドイツの車を中国に売り込むために、何度も、中国を訪問してます。アメリカより上なのです。香港は、もはや、共産国でしょう。ウルムチは、どんな人権問題があるか、中国が、公にすることは、未来永劫にないでしょう。

中国の人権問題は、中国の内政問題といって、他国の意見を聞くことは、絶対にない。反乱を起こせば、中国は、天安門事件で示したように、徹底的に弾圧します。

香港は、現在、アメリカの金融投資家が、中国の富裕層をめがけて、どう入り込むかを、チャンスを狙っているそうです。アメリカの農業も、中国が、最大の顧客です。喧嘩はしたくないのです。彼らも、香港も、ウイグルもないのです。トランプもバイデンも国内の利益代表です。言っていることと、やっていることは違う。

私が、中国を見る目。現役時代に、中国と関係しましたが、共産党が、中国を支配している時代、今後も続くでしょうが、深入りをしないこと。残念ながら、日本も深入りしました。今後も付く会わなくては、なりません。悪友、絶対に付き合ってはならない、友達と生活しているのです。トヨタも、日産も、パナソニックも、ユニクロも、日本中が離れられないのです。世界も中国から、離れられないのです。今は!

4.今後の中国

中国は、今が、最高に幸せな時代です。経済は、その国の人口によって、影響を受けます。残念ながら日本は、今後、人口は減ります。中国も例外では、ありません。しかも、中国は、一人っ子政策を、やりました。これが。恐ろしいことになります。人口減少期になったとき、中国国民が、どう動くかです。弾圧だけで済まされるか?弾圧に頼ったら、悲劇的な、最後になるでしょう!

中国創建、70年?になるらしいですが、勝手の日本の指導者は、中國を助けて、国民が裕福になれば、民主かして、話し合える国になると、とんでもない仮説をしてました。これが、誤りと気が付いたのは、ここ数年!豊かになったのは、共産党のお陰と習近平が主張してます。日本の勝手の指導者、松下幸之助、小松製作所の社長、外交官等が居ましたが、残念ながら。間違ってました。中国共産党は、民主国家に対抗する、異質の大国家になったのです。中国は、ますます、彼らが目指す、中華の繁栄を目指して、世界を制する国家を目指します。その時、世界は、耐えられるか?コロナで見るように、独裁国は、異常時に、国民を制御しやすいのです。現在の中国国民が、自分の国が、最高と思っているのは、理解しやすいです。

それに、控え、民主主義国家は、全く、バラバラ。制御不能。しかし、個人の自由を認める以上は、自然です。

民主主義国家群は、共産党国家群、それに同調する国家に、勝てるか?

それがわかるときは。その時は、私は、居ない!みんな、頑張れや!!

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歎異抄を見る

新聞の広告などに、この時代に、歎異抄を読みましょう!とか、広告が出てます。無人島に一冊の本を持ってゆくとしたら、歎異抄を選ぶとか、何となく、気になり本です。21年前に、購入したが、全く、目を通してない本が、2冊ありました。昨年の末に本を整理した時、残しておいた本です。梅原猛の書いた、歎異抄の入門の書です。20年間、落ち着いて、読んでみる機会は、ありませんでした。
このコロナ時代に、やるものがなくなったので、重い腰をあげて、本棚から、引き出して、見ました。

自分では、仏教人であり、真言宗の信徒と思ってますが、ほぼ、無信心者です。しかし、この歎異抄は、浄土宗の本でした。この本を見て、初めて知りました。従って、歎異抄を読むなどと大きなことは、言えません。斜めに見るくらいの感じです。

1.まず、仏教を学ぶ

仏教を初歩的に、学びます。
私的な話で、恐縮ですが、30年前ごろ、インドのマデアプラデシュ州の首都、ボパールに光ファイバ工場を建設の折、近くに、サンチというところがあり、そこに、仏陀のスツーパ(納骨堂遺跡)がありました。仏陀(釈迦)紀元前5世紀にインドの北部、ブダガヤというところに生まれ、シャカ属のお王子さんとして生まれ、その人が、仏教を創設したそうです。釈迦(ゴータマシッダルタ)人生に悩み、ヒマラヤの近くで、瞑想するも、悟りが開かれず、麓に帰り、菩提樹の下で、瞑想して、人間の生き方を悟り、仏陀になりました。その時、釈迦を助けたのが、村の娘、スジャータです。まったく、余談ですが、我々の飲み会の名称です。
それから、紀元全1世紀の中国に伝わり、後漢の時代だそうです。それから、500年、欽明天皇、552年に日本に伝わりました。仏教導入時は、色々、トラブルもありましたが、聖徳太子などの、助けを受け、導入から200年後、天平宝勝4年(752)聖武天皇の時代、東大寺大仏開眼をして、仏教は、日本に定着しました。その後の、最澄、空海の時代です。
最澄は、比叡山に延暦寺を開き、天台宗を創設します。空海は高野山で、真言宗を創設します。2人の宗派は、密教で、真理を知るには、修行が、必要でした。これらは、仏性と戒律がりました。仏になれる人間の資格、仏教にかかわる戒律がありました。

鎌倉時代の仏教は、この問題を大きく変えました。まず、法然、親鸞が、仏は、誰でもなれると、換えます。今までは、修行をした人など、特別な人間でなければ、極楽にはゆけないとなってました。これを”波阿弥陀仏”と唱える、“口誦念仏””こうしょうねんぶつ”を進めました。

この時代、鎌倉時代発祥の宗教は、易行を中心に発展、布教したように思います。日蓮は、題目、”南無妙法蓮華経”を唱える。道元が、座禅です。

この時代は、戒律が、緩められたというか、見直されております。特に、法然、親鸞は、変えられました。どんな宗教にも、戒律の揉んだ愛があります、キリストのモーゼの10戒、仏教にも多くの戒律があります。仏教では、5戒というものがあります。

1.不殺生戒
2.不愉盗戒
3.不邪淫戒
4.不妄語戒
5.不飲酒戒

現在では、こんなもの、守れるわけがありません。しかしこの時代は、もっと、厳しい、戒律がありました。

現在でも、イスラムの戒とか、カトリックの離婚できないとか、戒律だらけです。

親鸞は、3番目の不邪淫戒に相当する、不邪淫戒に相当する戒律を聖徳太子の六角堂で、こもっているときに、観音様があわられて、観音様が、妻帯を許してもらえる、夢を見るのです。大変理解のある、観音様です。ですから、いまでも、観音様は、人気があるのではと思います。

以前は、無目も希望もない時代に、誰でもが、極楽浄土に行かれて、死後は、幸せな生活が送れるという、極楽浄土があるという教えは、魅力的であったでしょう。この極楽浄土を教えてくれたのは、源信恵心僧都(げんしんえしんそうず)という僧で、往生要集という本を書いて、西方にある阿弥陀浄土を宣伝しました。
この、僧が、阿弥陀を信仰して、波阿弥陀仏を唱えれば、極楽浄土に、行けると宣伝していたのです。
これまでの奈良、平安仏教は、国家の安泰のための仏教で、庶民のための仏教ではないのです。平安時代、いわゆる、源氏平家の戦いから、武士階級が生まれ、時代は、変革期にありました、庶民のための、宗教が、この時代に必要とされたんです。

鎌倉時代に仏教は、2つの方向に変革があります。

1つは、南部、奈良等で、戒律復興運動、より従来のやり方を見直し、厳しい方向に行こう。臨済宗と曹洞宗の禅宗の興隆です。現在社会でも、改善運動で、改善が見込まれないと、我々のやり方は、改善が足りないので、もっと、もっとやるべきと主張する人がおります。昔回帰型。

もう一つは、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗や、日蓮の日蓮宗の開宗へとつながります。まったく新しい方向です。

平安時代まで仏教は、国家や貴族を救済するための仏教でした。平安時代が、高貴な方の救済であったのに対して、時代に変革があった鎌倉時代には、仏教も改革を求められたのです。
そこで、生まれたのか、いわゆる、鎌倉仏教です。現代は、この中で、生きております。

鎌倉仏教は、下記のような宗教を生んでおります。

法然   1175年(43歳)専修念仏による往生を説く 浄土宗
栄西   1191年(53歳)臨済宗を伝える      臨済宗
親鸞   1224年(52歳)本願念仏による往生を説く浄土真宗
道元   1227年(28歳)曹洞宗を伝える      曹洞宗
日蓮   1253年(32歳)唱題目による永遠の救い  日蓮宗

これらの宗教は、最澄が起こした、天台宗比叡山で修学して、そこから離脱して、新しい、宗派を創設したものです。

歎異抄を見るためには、親鸞がどのようにして、誕生したのかを理解するのは、必須の条件なのです。浄土真宗の為の経典が歎異抄なのです。

2.浄土宗、浄土真宗の教えとは

釈迦の誕生は、紀元前5世紀、法然の時代、1175年は、釈迦の誕生後1500年を200年近く過ぎており、釈迦の考えでは、正法、像法を過ぎて、末法の時代と説いております。方丈記を書いた、鴨の長明も末法の思想がありました。釈迦は、この時代は、人が、安寧を生む、悟りを開くには、教、行、証が、必要とあります。
教とは、教えです。行うべき、事項。
行とは、教えの通りに実行すること。
証とは、悟りで、上の2つにより、達成されます。なんでもわかった。もう迷わないということか?

お釈迦様は、この、末法の時代は、教えしか、残っておらず、修行する人もなく、悟る人もいない時代と、予測してます。

もはや、人は、お釈迦様のようになれないと宣言しているのです。もう、お前らは、少ないと時代だと言っているのです。

この時代に生まれた、人々は、絶望の中にいたのです。
法然は美作(みまさか)の国に生まれ、比叡山で天台宗を学びましたが、国家や、エリートは救えますが、庶民、権力のない人、武士(新興勢力)は救えなかったのです。その理論がなかったのです。

法然は、誰でも救われる方法はないか?色々な学者、と言ってもそうですが、当時の仏教指導者、法相宗、華厳宗に学びましたが、解決策はなく、20年を、阿弥陀仏を、経典の中から、見つけ出したのです。

お釈迦様がとかれた、お経は7千余巻あり、何時の時代も、どんな人も救われる法が、説かれている、
大無量寿経
観無量寿経
阿弥陀経

を見つけ出したのです。この時、法然、43歳(1198年)の時です。

法然の教えは、他力の念仏を唱えることです。他力の念仏とは、阿弥陀仏の力のことです。
観無量寿経に3つの心が説かれております。
至誠心
真実の心のこと。真実というのは、心空しくして外見を取り繕う心のないこと。
深心
疑いなく、深く信じること。阿弥陀の名号を唱えれば、必ず往生できると信じること。
廻向発願心
自分が修めた行いをひたすら極楽にむけて、往生したいと願う心のこと。

法然の主著 選択本願念仏集で、これが、守られなければ、念仏も、効果がないと言ってます。

他力の念仏を唱える者は、次の、四修をしたくなる、本当は、やらなければ、効果がないということかも?

四修とは、
恭敬修
救われたら、阿弥陀仏を敬い、礼拝する。
無餘修
私を救いたもう仏は以外はいない、阿弥陀仏を礼拝し、ほめたたえ、念仏をとなえる。
無間修
いつ死んでも、極楽参りを疑わない、死ぬまで、極楽浄土を思い浮かべ、念仏をとなえる。
長時修
命がある限り、上の3つをつづける。

この、3心と4修を持って、念仏をすれば、極楽浄土に行かれる。

易行と言いながら、現在では、結構厳しい修行ではないか?
法然は、末法の世に生まれ、財力や能力のない多くの人は自力の修行による悟りは難しい。
人間の個人としての精神的な救済を、自分の力でなく他力(阿弥陀仏の大いなる慈悲)に求めたのである。

浄土宗と浄土真宗の違いは、元々、法然から、発生しています。浄土宗が、弁長の鎮西派、証空の西山派、親鸞の浄土真宗に分かれてます。
浄土宗の本尊は、阿弥陀如来の木像や絵像ですが、浄土真宗は、南無阿弥陀仏の名号のみが、本尊です。
親鸞の浄土真宗は、阿弥陀仏の約束をかたくなに信じ、生きているときに苦悩の根元を断ち切られて、生きているときに、この世の正定聚の菩薩になり、これが大安心、大満足の絶対の幸福です。そして、死ねば極楽浄土へ行って仏に生まれ変わります。報土往生です。そのために、真の浄土宗であるということで、浄土真宗と言われます。

この浄土宗は、当時、鎌倉時代の民衆の支持を受けました。法然の教えを曲解して、念仏を唱えれば、すべてが、許されるなどとして、他の宗派から、攻撃の対象になりました。かって、修行した比叡山の僧侶らは、法然に責任を取らせようとしました。また、奈良の興福寺をはじめとする、当時の既成の仏教教団は、念仏の停止を天皇に奏上しました。法然に都合が悪いことに、法然の弟子に、人気のある、住連、安楽という、念仏の上手い僧侶がいて、後鳥羽上皇の女官が、勝手に出家する事件が起きました。
1207年、怒った後鳥羽上皇は、自分の女に手を出され、他の教団からも、法然、浄土宗一派を処分するように、奏上されていたので、浄土宗一派を、処分しました。住連、安楽は死罪、法然以下7人を流罪にしました。この中に、親鸞が入ってます。法然は、讃岐の国、親鸞は越後。この時、親鸞は、愚禿親鸞と自分で名前を改めました。1211年、法然も親鸞も赦免になりました。
親鸞は、京には戻らず、常陸の国に行き、布教を始めます。
ここで、20年布教します。ここでの弟子、唯円(ゆいえん)がおりますが、後に、親鸞の教えの誤解を解くために、歎異抄を書きました。
親鸞没後、30年後に、1300年頃に、歎異抄は、書かれました。
親鸞が、常陸の国から、かえって、常陸のでしから、色々は教えが、広がりました。これを鎮めるために、息子、善鸞を常陸に贈りましたが、この善鸞が、自分を守るために、異説を作ったとの話もありますが、親鸞は、息子を断絶しました。これが、善鸞事件です(1256年)。この本は、成立から200年間は、秘密にされました。

3.歎異抄を見る

歎異抄の構成は、次のようになっております。

1.真名序
2.第1条から第10条までー親鸞の言葉
3.別序ー第11条以降の序文
4.第11条から第18条まで―唯円の異義批判
5.後序
6.流罪にまつわる記録

歎異抄を紐解いてみると、確かに、大変、深遠な哲学、信仰が書かれております。たった、18条ですが、1条ごとには、非常に深い、信仰心、哲学があるようです。簡単に、全章を、話すなど、不謹慎と思います。私が、今回、梅原猛の入門書をよんで、一番、びっくりした章だけを、今回は、書きたいと思います。私は、真言真宗の信徒でもなく、新聞の広告から、興味を持ち、しかも、20年前に購入して、読みもせず、積んでおいた本を、整理するために、開いただけです。
日本の仏教を、勉強することは、確かに、楽しいことです。千葉の鋸山にいって、日本寺を知り、当時700年代に行基という坊さんが居て、東大寺の開業に協力して、仏教に興味を持ちましたが、今回は、鎌倉時代の仏教でした。

歎異抄で、有名なのは、3条の善人なをもて、往生をとぐ、いわんや悪人をや。ですが、本願他力の趣旨を理解すれば、なるほどと、思います。以前に、この項は、いろいろ、聞いていたので、そんなに、不思議とも、思いません。今後、時間があれば、思ったことを、記述してみたいと思います。

今回、一番、驚いたのは、13条の阿弥陀の本願と宿業についてです。本文通りではありませんが、ある時、親鸞聖人が、弟子の唯円に、「お前は、私の言うことを信じるか?」とききます。
唯円は、「もちろんです!」
親鸞が「ならば、千人ころしてくれ、そうすれば、往生させてやる!」
唯円は、「聖人の仰せですが、私は、千人どころか、一人も殺せません!」
親鸞は、「人間心に任せて、善悪を判断するなら、善と判断すれば、千人でも、殺すだろう!しかし、お前が、一人も殺せないというのは、善悪の判断ではなく、殺すべき因縁、宿業がないからだ!人を殺せないのは、お前の、心の良さではない!また、殺すまいと思っても、千人でも殺すことがある!
すべて、阿弥陀の本願によって、動かされているのだよ。宿業によるものだ!あなたの心の、善悪の判断ではないことを、知りなさい!!」

私見、自分に与えられた、というより、自分で取得した、知恵で善悪を決め、それをもとに、行動する。自分の力と信じている。
阿弥陀によって、行動は、支配されている。これが、信心か?
宗教の本質かもしれないと思います。

私は、信者ではないので、参考にします。うぬぼれがないように!!

今回は、ここまで。

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2012年、袖ヶ浦公園菖蒲の花

コロナに明け暮れ、何となく、暗い日々を過ごしてますが、5月の末に、久しぶりに袖ヶ浦公園を訪れました。
まだ、菖蒲は早いのかなーと思ってましたが、5月28日、水泳も休みなので、家内と散歩してみました。
なんと、菖蒲は、満開でした。アジサイは、まだ、つぼみでした。

1.菖蒲園の全体を見る

袖ヶ浦公園の菖蒲園は、昨年の冬から、植え替えの工事をしてました。そんな訳で、今年は、期待できないかなーと思ってました。

袖ケ浦公園の上、上方面から、全体を見ます。菖蒲も見えますが、スイレンは手前ですが、まだ、花も見えません。
菖蒲園の中央です。奥にレストランがあります。
5月の下旬ですが、今年は今が、一番きれいでは!
ここは、古い株
種類は、色々ですが、詳しくはない??
なんとなく、白は、この季節に合う

2.睡蓮

以前は、スイレンも、蓮もありましたが、消えてしまいました。7月頃は、スイレンが綺麗でした。今は?

寂しい限り??

この辺では、富津公園が綺麗と思います。5年前くらいは、蓮とスイレンのほうが、菖蒲より、綺麗でした。

3.アジサイ

あと、1か月くらいで、紹介できると思います。今日は、まだ、蕾でした。池の鳥は、一匹もいなくなりました。

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コロナ自粛時代に、方丈記を学ぶ

令和3年5月に、コロナは、収まりそうにありません。緊急事態宣言が、4回発令しましたが、国民は、我関せず。好き放題にやっている人は、後を絶ちません。

要は、自分の身は、自分で守る!
今回の、ウイルスが、発生した当時、東大の先生が、ウィルスは、人間が近寄らなければ、感染しませんと言ってました。ウイルスにかからない、最善の方法は、ウイルスに近づかないこと。
ウイルスから近づいてきたら、避けること!

残念ながら、日本は、国民が、皆、ウィルスが好きで、ウィルスに好感を持ってます。政府が、go to 何とかを積極的に進めてます。人が、動けば、ウイルスに接します。ウイルスは、大歓迎です。

人が動かなければ、経済は成り立たないと言ってます。これも真実です。

これからは、私の都合。80歳の老人は、はっきり言って、経済は、関係ありません。まずは、自分を守ること。

自分を守ることは、容易ではありません。色々誘惑があります。残り少ない、人生を、楽しく、愉快にやりたいのです。愉快にやれば、ウィルスが待ってます。ウィルス自粛!!
私は、世の中を悟っているわけではありませんが、自粛生活を楽しんでます!自粛スタイルは、非常に経済的です。まさに、年金者むけな、生活スタイルと思います。

こんなときに、鎌倉時代の方丈記を、思い出しました。今回は、コロナ自粛と、方丈記を考えてみます。

1.方丈記の時代

方丈記を書いた、鴨の長明は、1155年に生まれ、1216年に没してます。1185年に、壇ノ浦で平氏が、敗れて、源の時代になります。人生60年生きてますから、30歳ごろまでは、平安時代、残りの30年は、鎌倉時代です。

長明は、生涯に多くの災難がありました。大火、旋風、福原遷都、飢饉、地震などです。
賀茂御祖神社の神職の家に生まれましたが、父親を早くなくし、一族の妨害などがあり、恵まれた、暮らしは、出来ませんでした。仏教の教えもあり、無常思想に、染まります。

現在でも、色々努力をしますが、人は誰でも、自分が描くような人生は、遅れないものです。長明だけが、不幸なのではありません。

そんな中で、50代で出家して、方丈の庵を作ります。この時の、長明の心境、哲学が魅力的です。

2.方丈庵の哲学

方丈記の原文を記すことも、良しとしますが、ここでは、原文をかいつまんで、紹介したい。長明の人生哲学を理解していただきたいからです。方丈記の最後の部分に、彼の哲学があると考えます。

このように、述べてます。
着るものも、食べ物も、手に入るものだけでよい。食べ物も、かろうじて、命を保つだけでよい。他人と交際しないので、姿を恥じる悔いもない。食事も贅沢をしたこともないので、何でもおいしく食べられる。これは、金持ちに、言っているのではありません。昔の自分に比べて、言っているのです。
そもそも、世界は、心の持ち方次第です。心が、穏やかであれば、なにも、他に欲するものはありません。

ひっそりとした住居。一間だけの庵、私には、これで、満足です。世間に出て、自分自身が、みすぼらしいのは、恥ずかしいけれど、この庵に帰ってきては、他人が俗世間の煩わしさの中にいることを、気の毒に思う。
多分、このことは、理解できないかもしれない。

以上が、長明が、方丈、3メータ四方の庵を作り、満足した哲学です。

現代では、考えられない、住まいですが、多分、私の住まい程度と、推定します。
私の父が、生前に言ってました。家、建屋は、金を生まない。家にはお金をかけるな!!

コロナで、自粛して、町の中を散歩していて、立派な家を見つけます。どんな、人が住んでいるのか?なんで、こんなに、成功したのか?下衆の感繰りが、働きますが、税金が大変だろうなとか?維持費は、どうするのか、どうでもよいことが、頭に浮かびます。

3.コロナ自粛に、長明に学ぶべきこと

長明は、800年前に、コロナは、ありませんでしたが、隠遁して、静かに、満足して、一生を終えたのです。
田舎の庵で、必要なだけの、衣服と食べ物で、十分に満足していたのです。
これから比べれば、今の、コロナ自粛は、贅沢極まりありません。

方丈で、人生を楽しんだ長明と比べれば、確かに、今のほうが、不幸かもしれません。
長明の隠遁は、無常思想でしたが、今は、コロナへの恐怖です。長明は、都会に出て、人に会っても、恥ずかしい思いはしたかもしれませんが、病気を感染させられる、恐怖はなかったと思います。

無常思想で、隠遁するか?恐怖で自粛するかの違いです。
恐怖の隠遁を、哲学の隠遁に帰られれば、安寧があると思いますが、恐怖は、恐怖。

大切なことは、同じ隠遁。同じように、行きませんが、哲学の隠遁に、似せる。質素、倹約をまねる!!
恥じないで、生きる。あるもので、満足する。足るを知る!!

4.ゆく川の流れ

方丈記の名文に曰く

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく、とどまりたるためしなし。
世の中にある人と住みかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、軒を並べ、甍を争える、高き、卑しき人の住まいは、世世を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或いは、去年焼けて今年作れり。或は、大家滅びて小家となる。
住む人も、これに同じ。所も変わらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わずかに一人二人ナリ。朝に死し、夕に生きるるならい、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いずかたより来て、いずかたへか去る。また知らず、仮の宿李、誰がためにか心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむ。
その主とすみかと、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異ならず。或るは、露落ちて花残れり。残ると言えども、朝日に枯れぬ。或るは、花しぼみて露なほ消えず。消えずといえども、夕べを待つことなし。

名分です。この無常観からは、住まいを考えるに、贅沢な家は、考えられないでしょう。
簡素、質素な、家、庵でしょう。最小限の住まい。雨風が防げれば良しとする。

長明は、これで、満足できたので、隠遁できたのだと思います。
翻って、現在のコロナ、自粛も、之に比べると贅沢。

無常な世でも、安らぎは、見つけられるんだね!!

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チバニアンを知る

コロナ以前は、週4回、内房線の五井駅に、水泳のために通ってました。五井から、小湊線が出ており、千葉の奥に入ってゆきます。そこに、話題のチバニアンがあるとは、知ってましたが、なかなか、行けませんでした。コロナで、GO To何とかは、関係がないので、いずれは、訪ねてみたいと思ってました。訪ねるにしても、多少の知識があった方が、楽しいだろうと思い、勉強してみました。
2021年4月現在、コロナが、収まらず、ワクチンも、当面は、打てそうもありません。政府は、7月までに、65歳以上は、打てると言ってますが、実態は、あと、8カ月、すなわち、年内は無理と思います。
我が町の、実態で見ると、私の計算では、8カ月は、無理です。
ワクチンの打つ会場を用意するなど、意味がない。ワクチンが足りないのです。ワクチンを用意してから、ワクチンを打つ会場が必要ですが、ワクチンがなければ、まったく意味がありません。

日本は、ワクチンが、作れない、国になったのです。嘆かわしいですが、これが、実態です。

コロナが、収まったら、ワクチンが打てたら、現地を視察して、再度、Blogしますが、まずは、これまでに、勉強した部分を公開します。

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春の袖ヶ浦公園

房総半島の、真ん中にある、上総の国、袖ヶ浦市は、江戸でいえば、品川とか、葛西に近いところで、昔から、関係のあったところです。江戸前のアサクサノリは、東京湾沿岸で獲れました。品川のはずれは、金沢八景までが、のりの産地と思います。
海苔の、季節は、11月頃から、3月初めくらいまで。海苔が終わると、菜の花が咲き、桜の季節です。4月からは、今では、潮干狩りの季節です。冬は、東京湾越えに富士山がはっきり見えるころですが、4月になると、富士山もぼやけてきます。

袖ケ浦公園は、袖ヶ浦のおくにあり、その先は、東京ドイツ村です。東京と名がつく施設で、東京から、一番遠い施設だそうです。

袖ヶ浦公園は、その近くにあります。

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1.春は、桜!!

袖ケ浦公園は、上池と下池があります。この両岸に桜が咲きます。

駐車場の桜、春、一番で咲きます
公園入口にある、民家の桜。毎年、桜の下で、バーべキュー。楽しそう!

公園の桜では、ありませんが、入り口の見事な桜です。

上池、この池を1周、1.6kmを桜が囲んでます。手前は、八重桜ですが、今年は、3月25日で、咲いてます。例年より、10日くらい早いのでは?
上池の奥から、堤をみます。堤は、八重桜です
上池の奥。
コロナでなければ、花見会場。一番奥です。
奥にある、金魚草。
ソメイヨシノではない、原種の山桜。房総半島には、どこの山にもあります。白い桜、さくらん坊、実がなります。子供のころは、食べました。ソメイヨシノは、実が食べられません。
桜の前、3月初め。木蓮が咲きます。
白桜。ソメイヨシノとは、違います。
夏には、スイレンと、菖蒲の池です。
堤の八重桜
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メープルシロップを絞る

2020年の秋に、メープルシロップを作る計画を立てました。目標とする気を選びました。死んだ兄貴が、植えた、カエデの木を選びました。ウリハダカエデ!!
私が、調べた限りでは、兄が植えたカエデは、ウリハダカエデです。この木が、実家の兄の畑に、3本は育ってました。兄が植えた木は、多分、50年以上たっている、幹回り1m位の巨木です。弟の提言もあり、この木から、メープルシロップを作ることを計画しました。以前のBlogにあります。色々、調べた結果、千葉、本州の南部では、3月初めから、樹液が出るとありました。そんなわけで、3月3日に、カエデに、穴をあけて、樹液の採集をしました。Blogでは、東北地方の採取の様子がありましたが、とりあえず、最終の計画をしました。