令和4年、袖ヶ浦公園の菖蒲園を紹介します。5月30日に、袖ヶ浦公園の近くを通りましたら、6月10日に菖蒲まつりを行うと案内が出てました。ならば、すでに、1部、花は咲いていると思い、訪ねてみました。
1.咲き始めの菖蒲





2.最盛期に、チャンスがあれば、紹介します。
6月は、アジサイが咲きます。その時に、再度、Blogに上げます。
3.6月12日に、再度、袖ヶ浦公園を、訪れました。



以前は、蓮の花もありましたが、無くなってしまいました。
3項は、6月18日に追加しました。
徒然の出来事、好きなように、記述したい
令和4年、袖ヶ浦公園の菖蒲園を紹介します。5月30日に、袖ヶ浦公園の近くを通りましたら、6月10日に菖蒲まつりを行うと案内が出てました。ならば、すでに、1部、花は咲いていると思い、訪ねてみました。
6月は、アジサイが咲きます。その時に、再度、Blogに上げます。
以前は、蓮の花もありましたが、無くなってしまいました。
3項は、6月18日に追加しました。
2020の東京オリンピックが終わり、ロシアは準備万端でウクライナを侵攻した。演習と偽り、ウクライナのネオナチスを倒すなどと、屁理屈を付けて、侵攻した。日本だけでなく、世界でも、ロシアは、そんなことはしないだろうと予想していた。ロシアを研究している人々が、そう信じていたのではないか?しかし現実は、全く違った。世界では、小国が、又は、小さな地域が侵攻して、領土を奪うのではなく、大国でさえも、力ずくで、問題を解決しようとするのだと、気づかされたのです。誤解を恐れずに言えば、アメリカも、中国の同じことをする可能性はあると、思います。
日本でも、憲法改正が議論されているが、ほぼ、全くの手つかずと思ってます。憲法は、何が書かれているのか、誰でも調べられます。日本の憲法の理念は何なのか?この理念が正しいのか?現実に適合しているのか?まずは、この確認をすべきと考えます。
日本国憲法の前文、後半の部分にこう書かれている処がまず気になります。
日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。
日本国憲法前文より
われらは、平和を維持し、専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
この認識で、日本国憲法は、作成されているのかと、唖然としました。新聞等で、右派の人が指摘をしていますが、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、日本に近隣は、そんな国は在りますか?又は、信頼できますか?
憲法とは、そんな理想論で成り立ってよいのでしょうか?
ジョン.レノンが歌っている、イマージンのいう、夢見る人ではありませんか?
今回のロシアのウクライナ侵攻は、現実は、そんなに甘くないことを、物がったって、いるのではないか?
そして
「われらの生存と安全を保持しよう」決意した。
とあります。これは、幾ら戦争に負けたとはいえ、アメリカの脅迫されて、決意したと、言わされたのではないか?
こんな、あやふやな、理想論に信頼を置けますか?憲法学者は、何を考えているのか?
またそして
「専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」において、名誉ある地位を占めたいと思う。
名誉ある地位は、大いに結構。問題は、その認識です。
「専制と隷従、脅迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務めている国際社会」とは、反対の国に囲まれているのです。ロシアと人中国、北朝鮮などは、専制と隷従の見本ではないか?
前文を見直しをして、自衛隊の位置づけをすればよいと思います。国軍を認めればよい。悩むことはない。
ただし、国民の3分の一は、左派で反対するでしょう。
中國が、台湾に侵攻してきたら、日本は、巻き添えを食う。地政学的に、やむをえないのではないか?その時の為にも、日本は、国防力を上げざるをいないのではないか?
ロシアのウクライナ侵攻がなければ、中國に対しても、こんなに用心しなくともよかったのに!
ウクライナは、ロシヤに負ければ、多大な犠牲を払うでしょう。日本が、第2次世界大戦で、どんなにロシヤ、ソ連なら、ひどい目にあったか、思い出すべきです。アメリカの原爆投下も、ひどい話ですが、ソ連もひどい国です。ウクライナに原爆を使うかも!アメリカでもやったのですから、困ったら、やる。
今まで、袖ヶ浦公園の桜は、池の周りのソメイヨシノだと思ってました。八重桜が、あるのは、知ってましたが、葉っぱが多くて、綺麗には、咲かないという、先入観がありました。4月中旬でしたが、そういえば、八重桜があると思い、袖ヶ浦公園の八重桜を、見に行きました。
八重桜をみると、葉はありますが、花が極めて大きいです。葉が目立たないです。これまでの先入観では、葉っぱの中に花があると思ってました。しかし、この様に、この時期、葉は目立たないように、花を引き立てております。
堤防一面に、八重桜があります。桜の下からは、多少、葉も見えますが、遠方の上からは、花しか見えません。
花の咲いている、濃度が、濃く感じます。
令和4年の1月から始まった、NHKに大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は頼朝、伊豆の石橋山の戦いで敗れて、房総半島に、逃げていてから、身近になってきました。京都では、保元平治の乱があり、最終的には、源氏が破れ、頼朝は、伊豆になされて、20年辛抱しますが、以仁王の反乱により、頼朝自身が再起をしますが、石橋山で、大庭景親に敗れて、安房の国に逃げてきました。
今の鋸南町竜島、保田と岩井の間、鋸山の南側、日本寺の注ぐ近くです。伊豆の真鶴から、船に乗り、三浦半島を抜けて、東京湾を渡ったのです。1180年の8月。夏だから、寒くはないか?
この竜島から、房総半島の豪族を、味方に付けで、鎌倉を目指します。一宮の上総常広、千葉の常胤らを味方の、鎌倉に上がりました。
その時に、道のりが、色々なところに残っております。単なる、言い伝えもあるようですが、そこまでは、精査してません。コロナの中で、私が歩いて、気になったところを、記述したいと思います。
袖ヶ浦公園の上池の放流口の近くに、近くの案内図があります。
この案内図に、昔から伝えられる鎌倉街道が入った、地図があります。
昔からある土地ですが、飯富から、蔵波、久保田、代宿を言う道があったそうです。この途中に昔から、鎌倉街道と呼ばれている道が、あります。
この海岸よりは、台地になってます。昔から、「ハッタテ」の下と言ってましたが。「旗立て」だということが、わかりました。
頼朝が、千葉の方に合図を出したとも。昔、川鉄等の工場がなかったころは、筑波山まで、この辺の台地からは、見えました。
東京の国会議事堂も見えましたの。100年前は、もっと見えたのでは?
袖ケ浦市には、12か所の貝塚があるそうです。その最大なのが、山野貝塚で、全部の発掘は、終わってないようです。このコロナ騒ぎで、市の設備の水泳プールは使えず、健康のために、ひたすら、市内の散歩をしております。そのコースもできるだけ、人に合わないようなコースを選んでおります。その中で、この貝塚は、繁華街からは、多少離れております。我が家から、歩いて、1時間近く、携帯の歩数計で、6000歩くらいのところです。往復で、2時間くらい。もはや、早くは歩けないので、ゆったりとです。
千葉県は、貝塚が多い県のようです。全国で2000か所くらいあって、700か所は、千葉だそうです。私が知っている貝塚は、大森貝塚ですが、千葉では加曽利塚貝塚でしょう。縄文時代4000年前くらいの貝塚だそうです。
山野貝塚は、縄文時代晩期、4000年前から2300年前の貝塚だそうです。
貝塚は、食糧の貝のほかに、動物の骨とか、土器も捨てられていたようです。多分、快適なところでは、無かったはずです。ハエもいたのでは?したがって、集落のはずれにあったか?素人でわかりませんが、私は、想像します。
以前に、チバニアンについて記述しましたが、その時に、地質時代を自分風にまとめました。と言っても、単に、情報を集めただけですが、再度、掲載します。
この時代が終わると、弥生時代で、稲作が始まります。それ以前に、東京湾沿岸は、人が住んでいたのです。袖ヶ浦の高台の畑などを、はぎ取ると色々は、住居後の遺跡があるようです。何度か、発掘現場を見たことがあります。
令和3年12月18日(土)16時過ぎに、袖ヶ浦公園を散歩しました。少し寒くなったので、冬鳥が集まるころと思い、夕方散歩することにしました。さすがに、人は少なく、静かでした。
15時過ぎには、月が出ておりました。渡り鳥の数は、何となく、昨年よりは、少ないような感じがします。これだけの渡り鳥の数は、数えるの能力は、私には、ありません。
私が、子供のころ、70年前ごろ、私の実家は、東京湾の海岸にありました。台風の時は、波の音が、聞こえました。普段は静かな海でした。冬には、多量の鴨が、東京湾を埋めておりました。今見る、こんな量、数ではありません。海が、真黒に感じました。それを不思議とも思いませんでした。自然とは、こんなものと思ってました。あの渡り鳥は、どこへ、行ったのか?
房総半島は、高い山がないので、どこからでも富士山が見えるようです。私の町からでも、隙間があれば、富士山は見えます。
朝夕は、東京湾越しに、富士山は見えます。特に夕方は、太陽が沈む、方向なので、綺麗な夕焼けを一緒に見えます。朝は、反射で、冬は、雪に覆われた、富士山が見えます。東京湾に浮かんだ富士です。
18日は、公園の近くの駐車場の隙間から、見えました。もう少し暗くなると、見えなくなる、寸前でした。17時半ごろです。
本当は、海岸の臨海公園にでて、撮影すれば、もっときれいです。
11月初めよりは、多くなったと思います。渡り鳥は、北からくるものと思ってます。八戸にいたころ、近くの池に行きましたが、狭い池に、白鳥も来ておりましたが、さすが千葉は、来ないようです。
こんな写真を撮って見たいと思ってました。房総半島の冬は、晴天の日が多いです。ただ、風はあります。風がなければ、冬でも小春日和です。
令和3年の晩秋、コロナで人混み遠慮して、散歩するには、わが町では、袖ヶ浦公園です。毎年、Blogで袖ヶ浦公園を紹介してますが、10月の初めから、終わりにかけて、公園の池に、渡り鳥が、来始めました。まだ、少ないのですが、1月頃は、」こんなにという、感じです。千葉のここでは、綺麗な、紅葉を期待しるのは、無理ですが、渡り鳥で、冬が近づいていることを感じます。
この池一周が、約1800mです。われわれ、歳よりは、1周で十分ですが、若い人は、何周も走って、回ってます。冬でも風が、強くないので、歳より向きです。袖ヶ浦には、海岸に臨海公園がありますが、冬は、風が強く、歳より向きでは有りません。1日、7000歩の散歩道です。
昨年度は、秋に、薩摩いのも収穫を送らせて、イノシシに全部食べられました。今年は、早めに、収穫しました。サトイモの苗は、50本近く植えまして、結構な量を確保しました。
また、新しく、枝豆を植えました。60株くらい植えました。今、10月末、29日ですが、結構実がなりました。多少虫がついてますが、食べられます。
冬に向けて、葉物を作りました。ほーれんそうを植え付けました。多すぎると思います。春菊、小松菜、パクチです。これも近所に配らないと食べきれません。
自然は、正直で、同じ季節に同じ花が咲きます。野菜作りで、ほぼ、毎日、畑に行きますが、9月13日ころに、ヒガンバナの蕾を見つけました。9月19日、1週間でほぼ、満開になりました。この間に、雨の日もありましたが、元気に、育ってます。
この季節は、サツマイモを、イノシシがねらっておりますが、今年は、まだのようですが、我が家のさつまいもも、時間の問題です。イノシシが食べる前に、試し掘りをしましたら、今年は、まーまの出来のようです。大根の種まきもしました。
今年は、サツマイモもやってます。ヒガンバナが咲くころは、山からイノシシが、降りてきます。昨年は、サツマイモは、一晩で、すべて、食べつくされましたが、今年は、イノシシが出る前に、サツマイモの収穫をしたと、考えております。ヒガンバナは、毒があり、動物は、食べないそうですが、ヒガンバナを食べなくとも、その他の、食べ物は、上手く食べるようです。
このBlogをつくるとき、スマホの写真を張り付けようとしましたが、容量が大きくて、張り付けられませんでした。paint.netで原画を縮小しましたら、張り付けられました。参考まで。
2021年の現在の農事報告をします。畑を初めて、10年近くになりますが、今年は、定番のキュウリ、トマト、ナス、オクラを植え付けました。そこ他、ズッキーニョ、サトイモ、サツマイモを植え付けました。昨年は、サトイモは、見事に、イノシシに掘り起こされました。収穫ゼロでした。
今年は、トマトを大型に切り替えましたが、見事に失敗です。6月初めに、皆、腐りました。大型は、難しいです。
その中で、キュウリは、豊作です。6月15日ごろから、毎日10本位取れます。7月末くらいまで収穫できるか?
オクラは、9月頃まで、収穫できそうですが、8月の中旬くらいから、味が落ちます。
7月中旬に、地這うのキュウリを植え付けました。これは、8月の末から、収穫できるかも?今年は、枝豆を先週植え付けました。
収穫は、コントロールできません。自然のままです。獲れるときは、どこでも取れる。自宅消費は、限られてます。近所への、お裾分けは、多分、迷惑以外の何物でもない。
このゴーヤは、我が家でコーヤジュースを作ります。リンゴ、バナナを加えると、苦みがありません。健康の元。
サツマイモは、9月21日に収穫しましたが、画像をスマホの圧縮画面で、撮影しましたら、WPには、UPできませんでした。
もとの画面に戻しました。pain.netで圧縮して、今後つづっけます。反省!!