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2012年、袖ヶ浦公園菖蒲の花

コロナに明け暮れ、何となく、暗い日々を過ごしてますが、5月の末に、久しぶりに袖ヶ浦公園を訪れました。
まだ、菖蒲は早いのかなーと思ってましたが、5月28日、水泳も休みなので、家内と散歩してみました。
なんと、菖蒲は、満開でした。アジサイは、まだ、つぼみでした。

1.菖蒲園の全体を見る

袖ヶ浦公園の菖蒲園は、昨年の冬から、植え替えの工事をしてました。そんな訳で、今年は、期待できないかなーと思ってました。

袖ケ浦公園の上、上方面から、全体を見ます。菖蒲も見えますが、スイレンは手前ですが、まだ、花も見えません。
菖蒲園の中央です。奥にレストランがあります。
5月の下旬ですが、今年は今が、一番きれいでは!
ここは、古い株
種類は、色々ですが、詳しくはない??
なんとなく、白は、この季節に合う

2.睡蓮

以前は、スイレンも、蓮もありましたが、消えてしまいました。7月頃は、スイレンが綺麗でした。今は?

寂しい限り??

この辺では、富津公園が綺麗と思います。5年前くらいは、蓮とスイレンのほうが、菖蒲より、綺麗でした。

3.アジサイ

あと、1か月くらいで、紹介できると思います。今日は、まだ、蕾でした。池の鳥は、一匹もいなくなりました。

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コロナ自粛時代に、方丈記を学ぶ

令和3年5月に、コロナは、収まりそうにありません。緊急事態宣言が、4回発令しましたが、国民は、我関せず。好き放題にやっている人は、後を絶ちません。

要は、自分の身は、自分で守る!
今回の、ウイルスが、発生した当時、東大の先生が、ウィルスは、人間が近寄らなければ、感染しませんと言ってました。ウイルスにかからない、最善の方法は、ウイルスに近づかないこと。
ウイルスから近づいてきたら、避けること!

残念ながら、日本は、国民が、皆、ウィルスが好きで、ウィルスに好感を持ってます。政府が、go to 何とかを積極的に進めてます。人が、動けば、ウイルスに接します。ウイルスは、大歓迎です。

人が動かなければ、経済は成り立たないと言ってます。これも真実です。

これからは、私の都合。80歳の老人は、はっきり言って、経済は、関係ありません。まずは、自分を守ること。

自分を守ることは、容易ではありません。色々誘惑があります。残り少ない、人生を、楽しく、愉快にやりたいのです。愉快にやれば、ウィルスが待ってます。ウィルス自粛!!
私は、世の中を悟っているわけではありませんが、自粛生活を楽しんでます!自粛スタイルは、非常に経済的です。まさに、年金者むけな、生活スタイルと思います。

こんなときに、鎌倉時代の方丈記を、思い出しました。今回は、コロナ自粛と、方丈記を考えてみます。

1.方丈記の時代

方丈記を書いた、鴨の長明は、1155年に生まれ、1216年に没してます。1185年に、壇ノ浦で平氏が、敗れて、源の時代になります。人生60年生きてますから、30歳ごろまでは、平安時代、残りの30年は、鎌倉時代です。

長明は、生涯に多くの災難がありました。大火、旋風、福原遷都、飢饉、地震などです。
賀茂御祖神社の神職の家に生まれましたが、父親を早くなくし、一族の妨害などがあり、恵まれた、暮らしは、出来ませんでした。仏教の教えもあり、無常思想に、染まります。

現在でも、色々努力をしますが、人は誰でも、自分が描くような人生は、遅れないものです。長明だけが、不幸なのではありません。

そんな中で、50代で出家して、方丈の庵を作ります。この時の、長明の心境、哲学が魅力的です。

2.方丈庵の哲学

方丈記の原文を記すことも、良しとしますが、ここでは、原文をかいつまんで、紹介したい。長明の人生哲学を理解していただきたいからです。方丈記の最後の部分に、彼の哲学があると考えます。

このように、述べてます。
着るものも、食べ物も、手に入るものだけでよい。食べ物も、かろうじて、命を保つだけでよい。他人と交際しないので、姿を恥じる悔いもない。食事も贅沢をしたこともないので、何でもおいしく食べられる。これは、金持ちに、言っているのではありません。昔の自分に比べて、言っているのです。
そもそも、世界は、心の持ち方次第です。心が、穏やかであれば、なにも、他に欲するものはありません。

ひっそりとした住居。一間だけの庵、私には、これで、満足です。世間に出て、自分自身が、みすぼらしいのは、恥ずかしいけれど、この庵に帰ってきては、他人が俗世間の煩わしさの中にいることを、気の毒に思う。
多分、このことは、理解できないかもしれない。

以上が、長明が、方丈、3メータ四方の庵を作り、満足した哲学です。

現代では、考えられない、住まいですが、多分、私の住まい程度と、推定します。
私の父が、生前に言ってました。家、建屋は、金を生まない。家にはお金をかけるな!!

コロナで、自粛して、町の中を散歩していて、立派な家を見つけます。どんな、人が住んでいるのか?なんで、こんなに、成功したのか?下衆の感繰りが、働きますが、税金が大変だろうなとか?維持費は、どうするのか、どうでもよいことが、頭に浮かびます。

3.コロナ自粛に、長明に学ぶべきこと

長明は、800年前に、コロナは、ありませんでしたが、隠遁して、静かに、満足して、一生を終えたのです。
田舎の庵で、必要なだけの、衣服と食べ物で、十分に満足していたのです。
これから比べれば、今の、コロナ自粛は、贅沢極まりありません。

方丈で、人生を楽しんだ長明と比べれば、確かに、今のほうが、不幸かもしれません。
長明の隠遁は、無常思想でしたが、今は、コロナへの恐怖です。長明は、都会に出て、人に会っても、恥ずかしい思いはしたかもしれませんが、病気を感染させられる、恐怖はなかったと思います。

無常思想で、隠遁するか?恐怖で自粛するかの違いです。
恐怖の隠遁を、哲学の隠遁に帰られれば、安寧があると思いますが、恐怖は、恐怖。

大切なことは、同じ隠遁。同じように、行きませんが、哲学の隠遁に、似せる。質素、倹約をまねる!!
恥じないで、生きる。あるもので、満足する。足るを知る!!

4.ゆく川の流れ

方丈記の名文に曰く

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく、とどまりたるためしなし。
世の中にある人と住みかと、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、軒を並べ、甍を争える、高き、卑しき人の住まいは、世世を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。
或いは、去年焼けて今年作れり。或は、大家滅びて小家となる。
住む人も、これに同じ。所も変わらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わずかに一人二人ナリ。朝に死し、夕に生きるるならい、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いずかたより来て、いずかたへか去る。また知らず、仮の宿李、誰がためにか心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむ。
その主とすみかと、無常を争うさま、いはば朝顔の露に異ならず。或るは、露落ちて花残れり。残ると言えども、朝日に枯れぬ。或るは、花しぼみて露なほ消えず。消えずといえども、夕べを待つことなし。

名分です。この無常観からは、住まいを考えるに、贅沢な家は、考えられないでしょう。
簡素、質素な、家、庵でしょう。最小限の住まい。雨風が防げれば良しとする。

長明は、これで、満足できたので、隠遁できたのだと思います。
翻って、現在のコロナ、自粛も、之に比べると贅沢。

無常な世でも、安らぎは、見つけられるんだね!!

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チバニアンを知る

コロナ以前は、週4回、内房線の五井駅に、水泳のために通ってました。五井から、小湊線が出ており、千葉の奥に入ってゆきます。そこに、話題のチバニアンがあるとは、知ってましたが、なかなか、行けませんでした。コロナで、GO To何とかは、関係がないので、いずれは、訪ねてみたいと思ってました。訪ねるにしても、多少の知識があった方が、楽しいだろうと思い、勉強してみました。
2021年4月現在、コロナが、収まらず、ワクチンも、当面は、打てそうもありません。政府は、7月までに、65歳以上は、打てると言ってますが、実態は、あと、8カ月、すなわち、年内は無理と思います。
我が町の、実態で見ると、私の計算では、8カ月は、無理です。
ワクチンの打つ会場を用意するなど、意味がない。ワクチンが足りないのです。ワクチンを用意してから、ワクチンを打つ会場が必要ですが、ワクチンがなければ、まったく意味がありません。

日本は、ワクチンが、作れない、国になったのです。嘆かわしいですが、これが、実態です。

コロナが、収まったら、ワクチンが打てたら、現地を視察して、再度、Blogしますが、まずは、これまでに、勉強した部分を公開します。

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旅、遠足 日記、経験

春の袖ヶ浦公園

房総半島の、真ん中にある、上総の国、袖ヶ浦市は、江戸でいえば、品川とか、葛西に近いところで、昔から、関係のあったところです。江戸前のアサクサノリは、東京湾沿岸で獲れました。品川のはずれは、金沢八景までが、のりの産地と思います。
海苔の、季節は、11月頃から、3月初めくらいまで。海苔が終わると、菜の花が咲き、桜の季節です。4月からは、今では、潮干狩りの季節です。冬は、東京湾越えに富士山がはっきり見えるころですが、4月になると、富士山もぼやけてきます。

袖ケ浦公園は、袖ヶ浦のおくにあり、その先は、東京ドイツ村です。東京と名がつく施設で、東京から、一番遠い施設だそうです。

袖ヶ浦公園は、その近くにあります。

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1.春は、桜!!

袖ケ浦公園は、上池と下池があります。この両岸に桜が咲きます。

駐車場の桜、春、一番で咲きます
公園入口にある、民家の桜。毎年、桜の下で、バーべキュー。楽しそう!

公園の桜では、ありませんが、入り口の見事な桜です。

上池、この池を1周、1.6kmを桜が囲んでます。手前は、八重桜ですが、今年は、3月25日で、咲いてます。例年より、10日くらい早いのでは?
上池の奥から、堤をみます。堤は、八重桜です
上池の奥。
コロナでなければ、花見会場。一番奥です。
奥にある、金魚草。
ソメイヨシノではない、原種の山桜。房総半島には、どこの山にもあります。白い桜、さくらん坊、実がなります。子供のころは、食べました。ソメイヨシノは、実が食べられません。
桜の前、3月初め。木蓮が咲きます。
白桜。ソメイヨシノとは、違います。
夏には、スイレンと、菖蒲の池です。
堤の八重桜
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メープルシロップを絞る

2020年の秋に、メープルシロップを作る計画を立てました。目標とする気を選びました。死んだ兄貴が、植えた、カエデの木を選びました。ウリハダカエデ!!
私が、調べた限りでは、兄が植えたカエデは、ウリハダカエデです。この木が、実家の兄の畑に、3本は育ってました。兄が植えた木は、多分、50年以上たっている、幹回り1m位の巨木です。弟の提言もあり、この木から、メープルシロップを作ることを計画しました。以前のBlogにあります。色々、調べた結果、千葉、本州の南部では、3月初めから、樹液が出るとありました。そんなわけで、3月3日に、カエデに、穴をあけて、樹液の採集をしました。Blogでは、東北地方の採取の様子がありましたが、とりあえず、最終の計画をしました。

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養老川川口の河津さくら

伊豆半島の河津桜が、発祥の地ですが、房総半島には気候が似ているので、河津桜が結構、植えられております。南房州が多いです。保田川とか、佐久間ダムとか、規模も大きいです。2月22日に五井、私の水泳の根拠地ですが、ここには、養老川が流れております。この川下に、河津桜が植えてありました。今が満開でした。両岸に植えられておりますが、片側は、残念ながら、手入れがされてません。五井川の海岸、山側を見てきました。

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冬の臨海公園

東京湾も、風が吹くと、湖ではないです。かなりの波の強さがあります。東京湾が、埋め立てられていなかったころ、私が小学生のころ、70年前ころは、海岸から4km、一里くらいは、引き潮時には、海水がない干上がった海でした。今は、埋め立てられているので、埋め立て先に出ると、上げ潮時には、2mくらいの水深になってます。

2月17日は、北海道に発達した低気圧があり、台風のような風がありました。埋め立て側の、車屋に点検をしてもらうために、海側に行きましたので、東京湾の中を見てきました。

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目白 来る

我が家には、冬と春先、夏にかけて、目白がきます。10年前には、家のヤマボウシの木に、巣を作り、子供を育てました。

このコロナ騒ぎで、ステーイホームの間、目白が目につきます。窓から、気づかれないようにして、カメラを向けました。用心深く、人に気づけば、飛び去ります。また、ムクドリが同じ餌をめがけて、目白の食事を邪魔します。
我が家を訪問する、目白を紹介します。

目白は、鳥綱スズメ目メジロ科メジロ属に分類されるようです。
鳥綱は、チョウコウと読むそうです。祖先は、2億年前から、1億5千年前だそうで、人類より先輩です。Zosterops japonicusが学名だそうですが、何となく、日本と関係がありそうです。インドネシアから、樺太当たりません、住んでいるようです。

食性は、雑食だそうですが、花の蜜や果樹をこの実、子供を育てるときは、虫も捕食するようです。花に合わせて移動して、桜の季節などは、よく見ます。

我が家では、ミカンを用意します。子供のころ、弟が目白が好きで、良く捕まえて、育ててました。その時は、サツマイモを練って与えていたのを覚えてます。当時は、野鳥保護法のようなものは、無い時代です。その経験があり、サツマイモの練ったものを準備しましたが。やはり、ミカンが好きらしいです。

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渋沢栄一と古河市兵衛

江戸末期、第11代将軍、徳川家斉の時代、古河財閥の創設者、古河市兵衛は、京都岡崎に、代々庄屋を務めたが、落ちぶれた木村長右ェ門とみよの次男として、生を受けました。時は、天保3年3月16日、1833年4月16日 天保の大飢饉、天保4年から10年まで続いた、大飢饉でした。江戸幕府が大政奉還をして、明治が始まるまで、35年前に生まれたことになります。
一方、渋沢栄一は、天保11年2月13日、1840年3月16日、埼玉県深谷市血洗島に、渋沢市郎右衛門元助,母エイの長男として、生を受けました。古河市兵衛の方が、9歳上になります。
もう一人、古河市兵衛が、養子にした陸奥潤吉の親、陸奥宗光は、天保15年7月7日、1844年8月20日和歌山県和歌山市吹上で、伊達宗弘と政子の6男として、生まれます。伊達政宗の後裔と伝えられております。1867年に坂本竜馬の海援隊にはいり、竜馬の信頼を得ております。

小生が、お世話になった、古河財閥の会社で、入社時に教わった、古河市兵衛の話を思い出しながら、と言っても、56年前の話で、ほとんど覚えてませんが、渋沢栄一との関係は、多少、記憶に残ってます。色々、文献を調べながら、記述してみます。

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メープルシロップ計画1

2020年11月4日に、兄がなくなった。弟から、実家の畑に、大きなメープルシロップの木がある。それから、シロップを作ってはと、話がありました。温暖な千葉で,そんなことができるか、調べてみました。カナダで有名ですが、千葉で、出来るなら、やってみようと思いました。兄の供養になるかも?