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旅、遠足

行基によって創建された延命寺

袖ヶ浦市の観光ガイドに、神亀元年(724年)に行基によって創建された延命寺があると知りました。聖武天皇が、創建にあたり、この地域の荘園を寄付したとあります。昔、母親に連れられて、行ったような記憶がありますが、60~70年前の話で、記憶が確かでありません。袖ヶ浦の山側にあり、隣は、木更津市のはずれになります。ここには、袖ヶ浦市の有形文化財が、2件ありました。また、百地蔵もあるようでしたが、目立つ場所になく、見落としました。確かに、古いお寺でした。2つの文化財は
1つは、豊臣秀吉の「禁制」の文書ともう一つは、僧侶の行のお守りのようなものとおもいます。それを作る、版木です。2つ目の現在袖ヶ浦市の郷土博物館に保管されていまして、ここでは、見ることができませんでした。説明用の看板だけでした。

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1.延命寺の外観

延命寺の正門です。立派な階段ですが、左側の椎の木のが、昨年2019年9月の15号台風のためと思われますが、落下しような部分がありました。正門の階段は、使用禁止になっておりました。
門の下には、豊臣秀吉の禁制の説明用の看板があります。
もう一つが、版木の説明用です。

青字の部分をクリックしてみて下さい。袖ヶ浦市の説明文が読めます。

正門を横小道から、上がりきって、正面からの写真です。
わき道から、本堂を見る
本堂です。百地蔵は、本堂の裏側にあるかもしれません。今回は、未確認でした。

ちなみに、袖ヶ浦市の延命寺は、正式名は、飯王山延命寺(ボンノウザン エンメイジ)、新義真言宗だそうです。

今回勉強したのですが、お寺さんの名前は、同じ名前は、沢山なるようです。先日、君津市に行きましたら、小さな延命寺がありました。同系列の真言宗豊山派でも、観音寺が63か所、延命寺が32か所もあるようです。

2.行基が創建したお寺

以前にも書きましたが、行基が創建した、または伝承のお寺は、全国に600寺あるそうです。この、袖ヶ浦の延命寺も行基が724年に創建したとあります。2020年の4月のお参りした、日本寺の行基が、創建したとありました。年号も725年(神亀2年)でした。飯能山延命寺は、これの1年前になります。

最近散歩していて、以前から、立派なお寺だなーとみておりましたが、たまたま、散歩でお参りしてみました。

平成5年3月再建
設立記念碑に行基が725年神亀2年創設したとあります。花輪山医光院薬蔵寺とあります。

3.日本最初の寺

学生時代と思いますが、奈良県の飛鳥寺をお参りしたことがあります。その時に、ここが、日本で最初のお寺と説明を受けた記憶があります。596年から、8年かけて完成したそうです。

仏教が、日本に入ったのは、552年に伝わったそうですから、100年くらいで、古いお寺は、創建され始めているということです。国分寺は、聖武天皇が、741年(天平13年)に国分寺の創建を命じております。聖徳太子の法隆寺は607年創建ですので、
神亀2年(725年)は、相当早いと考えるべきと思います。

ちなみに、成田山新勝寺は940年天慶3年とあります。平の将門の乱が終わってからです。

行基には、関心があります。

4.延命寺の版木の有効利用

延命寺をお参りして、豊臣秀吉の禁制は、商売にならないが、版木を利用して、お守りを作りたいと思いました。版木を直接は文化財ですから、無理でしょうが、3Dプリンターで模型を作り、これから、弘法大師と、理源大師の版画を摺り、お守りにしたいです。この、技術的な問題を研究したい。

5.延命寺木版がの刷り画

延命寺の木版画は、市の文化財資料として、出版されております。その木版画を刷り起こしたものは、見ることができません。
小生が、市の文化財担当に、版木を見せてもらいましたが、これを、写真に撮り、復元しようとしましたが、市と、お寺さんには、許可が下りませんでした。ならば、この出版物から、刷り上がりの、原画を復元できないか、研究しました。市の文化財資料で、公開されている原画は、次のようです。

この木版で、刷り上がりの原図を見ることは、ほぼ、不可能と思います。当時の人がこの原画で、満足していたとは、思えません。これを何とか刷り上がりにできないか、研究してみました。現在は、画像ソフトが、進展してます。いくつかのソフトを使って、自分なりに、復元してみました。木版画は、公開されてますので、復元は、私の著作権になると信じてます。
木版画を刷りあがったのは、このような感じではないか?この絵なら、当時の修行僧も納得できたのではないか?許されるのであれば、版木に墨とつけて、再生して、公開していただきたいと思います。

1500年代の版画印刷がわかりませんが、これでも、影の部分があり、複数の段階を経ていたのか、興味があります。

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「行基によって創建された延命寺」への4件の返信

すっごくシンプルに、昔の人は本当にすごいと感動しました。
民衆を助けるために教えを広めるために、この広い日本を歩きまわり、寺を造って、民を慰めた。行基はあの細い体で、奈良から千葉まで歩いてやってきたんですよね。体力と、それを支える精神力の強さには、本当に参ってしまう、圧倒されますね。それにしても、千葉に、というか高品さんの生活範囲に、そんなすごい遺産が存在してるってのがびっくりです。
ここも行かねばなりません。

泰様

泰さんは、素直な人で、尊敬します。弘法大使(空海)とか、聖徳太子とか)に同じような、言い伝えは、数多くあります。八戸にいた時、義経伝説というのがあり、八戸も、義経が逃げてきて、八戸で、住んだ後が、何か所も残されてました。弁慶が腰かけた岩などもありました。千葉県の調子には、義経が逃げた時に、海に向かって吠えた場所があると聞きました。ロマンですね。色々、書いてみますか!😊

ぜひ、ぜひ書いてください、お願いします。私は歴史が本当に苦手なので、なんとかしたくて 気ままにですが小説を読んでます。その中でも 炎立つ(高橋克彦著)に感動。奥州舞台の藤原氏の軌跡が美しく・・涙・・ 義経、出てきました。去年の夏は 中尊寺に行って、この目で金色堂を見てきました。ロマンですね。

秦様

私も、八戸に住んでいたので、炎立つは読みました。高橋克彦は、盛岡に住んでいたはずです。蝦夷が、見直されたのは、この人のお陰と思います。

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