我が家は、子宝に恵まれず、夫婦だけの家庭でした。そんな家庭に、神様は、1つの家族を送り込んできました。ママと、私パパに、クーちゃんの3人の新しい家族が構成されました。序列はは、ママさん、クーちゃん、そして、パパわたくし目です。この序列は、後から来た、クーちゃんが、犬世界のおきてに従って、決めたようです。それでは、クーちゃんの物語を始めます。
1.クーちゃん終の住処発見
クーちゃんの祖先は、不明です。人間の世界には、血統とか、家系などもあるらしいのですが、クーちゃんのクラスでは、そんなものは、一切関係ありません。住む世界も、本来は、どこでもよいのですが、神様が、一応、我が家を紹介したようです。そんなことで、クーちゃんの家系は、野良出身ということになってます。したがって、いわゆる、名門の犬とは、別系列です。
神様がそんなことを、決めたとは知らず、初対面の私は、多少失礼な、対応をしたことは、反省してます。
時は、昭和62年4月4日、千葉県知事選挙の日でした。近くの小学校に夫婦で投票所に行き、帰りに、私は、床屋に行きました。
ママさんは、一人徒歩家に帰りました。
整髪がおわり、帰宅すると、真黒な子犬が、玄関で、尻尾を激しく振り、私を迎えるではありませんか!
なんという、馴れ馴れしさ!どこかのはぐれ犬が我が家に紛れ込んだと思いました。その時、この黒い小さな犬をシーと威嚇して追い払いました。危険を感じたのでしょう。一瞬でどこかに、消えました。さすがに、身が軽い。感心。
ところが、私のこの行動が、この犬、クーちゃんと名付けられましたが、私のクーちゃん迫害事件として、追及を受ける羽目になるとは、夢にも思いませんでした。
しかし、すぐに、帰ってきて、また、玄関に座り込んで、私に、尻尾を振ってました。
ママにこの子は、どうしたのかと、問うと、私と別れて、自宅に帰るときに、うしろから、のこのこ、付いてきて、玄関まで入ってきたそうです。
ここが、ママの世間知らずというか、やさしさというか、この犬は、お腹が空いているに違いないと思い、ミルクとパンを上げたそうです。おいしそうに食べたそうです。
クーちゃんの将来は、良くも、悪くもこのパンとミルクから,始まったのです。
クーちゃんは、終の住処をいとも簡単に見つけることができたのです。
2.クーちゃんの生い立ち
本当は、あまり、明らかにしたくないのですが、いずれ話をしなければならない時が、来るでしょうから、ごく、簡単にクーちゃんの生い立ちに触れておきます。
冒頭で、触れましたように、両親は、生まれて、目が開かないうちに、居なかったので、姿を見たことは、ありません。両親も、兄弟の知りません。誕生日は、昭和62年1月1日としておきます。戸籍も必要ないので、これで、十分でしょう。当然、生まれた場所も、必要なし。これ以上は、聞かないでください。
気が付いたときは、周りに、女の子がいる、長浦中学校の部室でした。この第一の恩人の女の子が、クーちゃんを部室に持ち込んで、お世話をしていたらしいです。後日、この子らに、町であったときに、おしっこをして、喜んでおりました。
この子らの、情報で、生まれてから、お世話を受けたのが、中学校の部室だったとわかりました。初めは、部内部で、給食の残りのパンとミルクをもらっておりました。しかし、これが先生に見つかり犬を飼うのはダメと言われてしまいます。この女子生徒は、自分の家に連れて帰り、おかーさんにこの犬を飼いたいといったのですが、すでに、この家には、犬がおり、これ以上飼うことは、無理と言われ、泣く泣く、外に放したそうです。
4月の昼下がり、一人のママが、トボトボと街を歩いておりました。クーちゃんは、このママを見つけたのです。そして、後を付けました。付いてゆくと玄関まで入れてくれました。そして、なんと親切なことに、パンとミルクを食べさせてくれるではありませんか!奇跡の再来!
クーちゃんは、これまでも、部活の女子生徒たちに面倒を見てもらいましたが、このママは、特別に親切、神様のように見えました。感じました!。信じました。!
この家には、やさしいママのほかに、将来、色々、相談に乗ってやらなければならない、パパがおりました。この時、順位は、クーちゃんは、パパよりは、上と決めたのでしょう。
犬族の習慣としては、群れ方式が、生き方の基本です。最下位のパパを、見守る義務はあるのです。散歩で、外出しても、遅れるパパを、面倒見なければ、ならないのです。重荷!
パパは、クーちゃんを野良族と言いますが、確かに、家系は不明です。パパの家系と同じようなもの。同類相哀れむでしょう。
3.一宿、一飯の恩義
人間の世界にも一宿、一飯の恩義とう、言葉がありますが、この場合は、これを返せばよいくらいですが、犬族では、神様との契りと同じくらいで、一生の契りになるのです。残念ながら、ママは、この契りを知らず、クーちゃんに、パンとミルクを与えたのです。キリストさまでさえ、パン一切れですよ。なんとパンとミルクとは、クーちゃんは、涙で食べたでしょう。一生この人に捧げると誓いました。
クーちゃんが、我が家についたとき、向かいの奥さんに、この犬は、どこの子かと相談しました。奥さんは、奥さんの知人の犬と思い、それなら、返してきてあげると、連れて行ったそうです。
それは、勘違いで、そこの家には、子犬がいたそうで、また、連れて帰ってきたそうです。
もはや、クーちゃんの帰るところは、ありません。が、神様!クーちゃんの住処は、決まったのです。
ママから、頂いた盃、ではなく、パンとミルクは、クーちゃんにとっては、大きな意味があったのです。万歳!!
4.生活初め
さて、ママもパパも犬の生活は知りません。どうすれば、クーちゃんが、幸せに暮らせるかは、手探りで、始めました。
第1日目は、休むところです。まずは、玄関の外、内ではありません。ここに、ダンボ‐ルの箱を用意して、中に、タオルを引いて、ベッドにしました。リードもなく、そのままで、外に置きました。クーちゃんが、この家が気に入らなければ、どこかへ、行ってしまっても、良いと考えておりました。
次の朝、玄関を開けると、クーちゃんは、パパをみながら、得意の尻尾を、振り回して、こちらを見上げておりました。クーちゃんは、どこへも、行く気はないのです。一宿一飯の契りは、果たす覚悟のようでした。
まず初めに、犬小屋を用意して、4月頃でしたので、庭の片隅に赤い犬小屋を購入してきて建てました。リード、食器などを用意して、外につないで、寝かせました。しかし、夜になると、クンクンと鳴きました。これでは、隣近所に迷惑になる。
ママは、クーちゃんを飼うと決めると、すぐに、動物病院に連れて行き、健康診断と予防注射を受けました。
医院先生は、この子は、小型犬で成犬になっても、5~6kgでしょう。家の中で飼えますとアドバイスしてくれました。
犬のことをよく知っている人から、この犬は,”四ツ白”、よつじろと言って、幸運をもたらす模様だそうです。胸の部分も真っ白でした。
パパもママも、当時犬を家になかで飼うという発想はありませんでしたので、衝撃的でした。犬小屋も高価な買い物で、準備したばかりなのに。
まず、玄関の土間で、生活させることにしました。クーちゃんの土間生活は、2週間続きました。高価な犬小屋は、一晩で使えなくなりました。しかし、クーちゃんにとっては、居間に上陸する
第一歩でした。居間でも、一階のみの生活ですが、コミニューケーションは、飛躍的に上がったと思います。私も、犬に対する認識が変わりました。クーちゃんも人間に対する、見方がかわったのでは。我々を、まったく、怖がらなくなりました。
5.共同生活始める
人間を犬の生活は、ルールを作ることが、必要です。
1.食卓の上のものは、食べない。クーちゃんの食器を使うこと。
2.散歩は、リードをつけること。人間の横を歩くこと。
3.散歩が終わったら、玄関でまって、風呂場で足を洗うこと。
4.シャワーをあびること。ブラッシングをしてもらうこと。
これくらいの、約束事ができると、人間と生活して、困ることはなくなります。
人間の意志は、こちらの都合で、如何にかなりますが、大切なのは、犬の希望を聞くことです。
クーちゃんは、ボール投げ、ハンカチ投げから、自分の希望を表現する方法をマスターしました。ハンカチを食卓の上に投げて、黙っていると、我々を見つけて、犬の脚で、我々をひっかくのです。引っ掻くことにより、自分が何かをしてほしいことを人間に伝えることが、出来ることを知ったのです。
クーちゃんに引っ掻かれたら、何が欲しいのかを探してやりました。
6.最初の事故
クーちゃんの最初の事故は、食事中に楊枝を、飲み込んでしまったことです。医者にかかりまて、様子を見るために、2日も入院しました。病院の食事は、気にらなかったらしく、食事の食器を引いた紙で、包んでしまったそうです。看護婦さんが、このワンちゃんは、贅沢をしているといわれました。
次に、比較的大きな事故は、ママと散歩中に、近所のシェパードが突然、クーちゃんを襲って、数か所かまれてしまいました。
数か所、かまれており、その恐怖で、物陰に隠れて、出てきませんでした。お医者に来てもらい、連れだして、手術を受けました。1週間くらいして、化膿した部分があり、それも、再手術をしました。それでも、治らず、2回目の手術をしました。犬の歯には、結構、ばい菌が多いことを知りました。クーちゃんが学んだことは、我々もそうですが、犬を見て、これは危険と判断する能力です。それ以来、シェパードは大嫌いです。遠くにいるシェパードを感じ取ります。基本的に、飼い主に大切にされている犬は、おとなしい。犬を見れば、飼い主の性格がわかります。
7.クーちゃん、パパを心配する。
クーちゃんが、我が家に来て、3年くらい経ったころ、パパの仕事は、多忙でした。パパは、太平洋に光海底ケーブルとやらを製造する、責任者に、されました。過酷な競争社会で、なんとか、発注を除外されないように、頑張ってました。そんなある日、パパの部下が、皆風邪をひいてしまいました。パパもおかしかったのですが、自分は、頭が痛いくらいなので、頭痛薬、ピリン系を飲みました。頭痛は治りましたが、次の日に、黒便、タール便というらしいですが、真黒な便が出ました。恥ずかしながら、これは、ブラジル勤務時代に、現地のおばさんから、風薬に日本では、ほとんど飲まれていなかった、アスピリン系の風薬を飲んで、同じ目にあいました。多発性潰瘍というらしいです。薬で胃の中が、傷だらけになる、症状です。すぐ、入院させられました。病院は自宅から、歩いて、100mくらいのところです。
クーちゃんは、毎朝の散歩が、日課になっておりました。ママと散歩ですが、私パパが、入院してから、散歩をしたがらなくなったそうです。ママが、病院まで連れてきて、私の名前を呼び、私が顔をだすと、安心して、散歩に出かけます。この間に、クーちゃんの体に、異変がありました。なんと、円形脱毛症です。人間が、犬を心配する話は聞きますが、犬が人間を心配する話は、あまり聞きません。クーちゃんは、群れの最下位序列のパパを心配したのです。群れを守る習慣が、生きているのです。
8.クーちゃん、どぶ川に落ちる
或る歳、ママが、めまいがする、病気になり入院しました。会社と、病院見舞いで、多忙でした。それに、クーちゃんの散歩があります。クーちゃんと2人での散歩で、ゆったりとした気分でした。駅前に、細長い公園があり、散歩には,最適な公園でした。田舎ですから、人もいなく、クーちゃんのリードを取り、自由に散歩させておりました。私が、先頭、クーちゃんは、続いてくるはずでした。しばらく歩いてから、後に続いているはずのクーちゃんを見ると、居りませんでした。私も、公園の端の岸壁の上を歩いておりました。幅は60cmくらいありますので、そんなに危険な場所ではないはず。端は、3mくらいの縁石があり、下は、埋め立て地と元陸の境界線で、水路になっております。引き潮で、水はなく、ヘドロだけが残った、有明海のような、水路。
なんと、クーちゃんは、この水路に、どぼっとはまり、足は、ヘドロの中です。私を見上げて、助けて、助けろと言う顔をしてます。自分の犬、放っておくわけにはゆきません。私も子のどぶ川
というより、ヘドロの中に岸壁を渡って、降りて行き、泥だらけの、クーちゃんを抱き上げ、まず、排水管、と言っても1m近くありましたので、とりあえず、泥だらけのクーちゃんを引き上げ、私が、その管にのり、2段構えで、クーちゃんを陸上に引き上げました。クーちゃんと私は、泥だらけ。近くの、ガソリンスタンドがあり、日曜日でしたので、無人の水道を使わせていただき、綺麗になりました。家に帰り、お風呂で綺麗になり、それから、病院に駆けつけました。ママには、当然叱られました。
その時、私は、クーちゃんの能力に見切りを付けました。この子は、運動の能力は、きわめて低い。パパ私と同じだと。
9.三重転勤
三重への転勤になりました。不幸なことに、この転勤がきまってから、ママは、病院に行くときに、バスのスッテップから、足を滑らして、骨折をしてしまいました。この中で、クーちゃんと、インコのピン子、骨折のママを連れて、引っ越しです。クーちゃんも、初めて、千葉県外に出るのです。千葉、三重間は、約400kmで、私の運転では、8時間以上はかかりました。
三重に着き、あてがわれた社宅に入りました。この時に、同僚の吉田家の娘さんに、出会いました。この一家とは、長い付き合いになります。クーちゃんをつれて、関西の色々なところに遊びに行きました。長野の白馬村に行ったときに、皆で黒部峡谷を見学することになりましたが、クーちゃんがいっるとトロッコ電車に乗れないことがわかり、私とクーちゃんは、残ることにしました。その時、吉田家の晃子ちゃんが、残ってくれることになりました。トロッコ電車の駅まで、皆を送り、帰り道での出来事でした。行くときは、道路は、渋滞でしたが、帰りは、ガラガラでした。少し走って、山の中の道でした。なにか、黒いものが、道路を、横切りました。なんだ!本物の熊でした。母親と子熊2匹です。晃子ちゃんのクーちゃも私も車を降りて、熊を追いかけました。知らないこととはいえ、危険極まりない行動でしたが、思い出になりました。クーちゃんも追いかけたんです。この3人は、危険予知能力が欠乏してました。吉田家とは、日本三景、赤目48滝、長谷寺等の旅をしました。みんなクーちゃんが一緒でした。
10.飛行機に乗る
当時でも、飛行機に乗る犬は、いっぱいおりました。しかし、皆血統書付きの名門の犬が多かったと思います。野良出身の犬は、クーちゃんくらいでした。三重勤務中に、ママの姉さんの病気見舞いをするために、飛行機に乗りました。専門のケージを購入して、飛行機に乗るときは、いつも、利用しました。飛行機では、犬は、最優先で取り扱わられます。まず、初めに飛行機に入れられるのです。ママと離れなければなりません。これが、不安であったのだと思います。降りてくるときも、まず、犬から降ろされて、引き渡されます。私が、迎えに行っても、私には、見向きもしません。要は、この飛行場を離れたいのです。飛行場は、嫌な場所でした。
11.千葉に帰る
三重の勤務を終えて、千葉に帰りました。今度も、自動車です。インコのピーコは、三重でなくなりました。帰りは、高速道路が、千葉の自宅近くまで、開通しており、行きから考えると近くなってました。自宅から、2㎞位のところで、クーちゃんが、興奮しだしたのです。5年近く、一度も帰っていない千葉です。自動車の窓から、クンクンないてました。自分の故郷に帰ってきたのが、わかったみたいです。
12.八戸出向
1999年5月、私は、古巣の会社から、八戸にある子会社に出向することになりました。クーちゃんに告げると、ご苦労様というような顔つきでした。残念なことに、クーちゃんも相当な、老人になっており、八戸同伴は、無理と判断しました。ママと千葉の家に残ることにしました。1か月に1回くらいは、千葉に帰ることができました。その間は、甥子の健介が、大学に入り、我が家から、通うことができるので、下宿してました。
この間、ママの姉さんは、病気が悪化していて、ママが看病に行くことがありました。クーちゃんも行きましたが、たまには、ママが、友達に頼んで、クーちゃんを面倒見てもらいました。吉田さんの真由美ちゃん、晃子ちゃんには、特に面倒を見ていただきました。そのうちに、吉田家でも、クーちゃんも見ていて、晃子ちゃんが、犬が欲しくなりました。薫おかーさんが、学年で1番になれば、犬を飼ってもよいと約束してくれました。なんと、1番になってしまったのです。っその結果、ゴールデンレッドリバーを育てることになりました。クーちゃんの友達です。
八戸の会社は、経営的に厳しい会社でした。クーちゃんが来ても相手もしてやれなかったのではと思います。2年後にクーちゃんがなくなり、ママも八戸に来ました。クーちゃんを八戸で遊ばせてやりたかった。
13.別れの日
平成7年7月7日、私は、八戸の会社におりました。ママとクーちゃんは千葉で一緒でした。この年は、暑い夏でした。私は、この会社がどうなるか、毎日知恵を絞っておりました。7月は、多少の余裕ができて、ゆっくりとして、工場内を回っておりました。
そこへ、自宅から、電話が入りました。散歩に行って帰ってきたら、居間で血を吐いた。病院に連れて行ったら、医者は重体だ、パパを呼べとのことでした。4時頃だったと思います、飛行機を手配しました。当時の総務部長が、話の分かる人で、すぐに帰ってください。すべてを手配してくれました。羽田には22時近くに着きました。23時半ごろ隣町の姉ケ崎に着きました。
クーちゃんは、すでに、酸素吸入器をつけて、横になってました。これまでにも、何本かの狭心用の注射を打ってました。
そんなクーちゃんが、私が付いたら、ムックーと立ち上がり、私に、飛びついてきました。びっくりしました。多分、クーちゃんにとっては、最後の力だったのでしょう。先生も、びっくりしてました。病院での看病は徹夜になりそうなので、自宅に連れ帰ることにしました。酸素ボンベをよいしてもらい、車で帰りました。5分もしない内に、クーちゃんが呼吸をしてないことがわかりました。すぐ、病院に引き返しました。先生と看護婦さんか外で待っていてくれました。先生は、さらに、狭心用の注射を打ちましたが、反応はありません。先生、ありがとうございました。
クーちゃんは、14年半の生涯を終えました。クーちゃんロスは、我々夫婦にとって、大きなものでした。何を見ても、何の音でも、みんな、クーちゃんに見え、聞こえるのです。
お通夜と葬儀を行いました。葬儀は、君津のお寺さんで行いました。火葬場の台にクーちゃんを横たえた時の感じは、今でも忘れません。お骨は、自宅に持ち帰り、まだ、仏壇にあります。お墓は、一緒にする予定です。
クーちゃんへ
植木等ではありませんが、面倒見たよ!!
いや、クーちゃんのセリフかもしれません。毎日、お参りをするとき、天国のクーちゃんにお願いしていることがあります。宝くじを当てることを、神様と交渉すること。又は、何でもよいから、金を入るようにすること。酒が、毎日飲めるようにすること。ママとパパ元気でいるようにすること。もっともっと、いっぱいありますが、本日は、これまで。追加は、後日しますのでよろしく。
天国のクーちゃんへ
このBlogは、ママの厳しい検閲を受けて、完成してます。
別のBlog, http://kuchanlife.web.fc2.com
「クーちゃん物語」への1件の返信
懐かしく読ませていただきました。
私が、千葉に居て、三重に出張になった時、高品さんの社宅に泊めていただいたことがありました。その時の夜、私の布団にクーちゃんが入ってきて、朝まで一緒に寝たことを思い出します。私も群れの一員として認めてくれたようです。でも序列は、高品さんの下だったのでしょうね。
クーちゃん、有難う。