50年前、どんな理由か忘れましたら、鋸山を訪ねました。誰といったか、どんな目的があったか、定かではありません。自動車で訪ねたのは、覚えております。
何しろ、汚い、ゴミだらけの山でした。南房州では、有名な山でしたので、訪ねました。
石の仏がたくさんあるのを覚えてました。ただ、全ての仏は、頭が壊されておりました。その時は、理由も考えませんでした。ただ、高い山に行っただけ。
1.日本寺
日本寺は、今から1300年前、西歴725年、神亀2年6月8日に、高僧行基菩薩によって開かれた、聖武天皇の勅詔を受けた、勅願所だそうです。
正しくは、乾坤山日本寺(けんこんざんにほんじ)と呼ぶそうです。登り口は、3か所あり、今回は、国道127号の浜金谷の1つ目のトンネルを出たところから、有料道路を利用して、入山しました。
日本寺は、鋸山の南面にあり、10万坪(33万平方メータ)あり、18勝、36景あり、現在、本堂は、再建中でした。完成には、後3年はかかるそうです。
表参道は、保田駅の方から、入山するそうです。今回は、途中からはいりました。全部参観するには、2日はかかるそうです。次回は、表参道から入山したいと思ってます。
2.大仏広場
最初の参拝は、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにゅらい)です。天明3年(1783年)、上総桜井(現木更津市)の名工大野甚五郎英令が、弟子27人と3年をかけて完成した、石仏です。高さ31.05m、ちなみに、奈良東大寺の廬舎那仏は、18.18mだそうです.石仏と銅の鋳物に違いはありますが、大きいことは、事実です。
3.百尺観音
鋸山の石切場後に、昭和41年5月に完成した、百尺観音があります。ほぼ、山頂に近いところですが、世界平和のために、作ったそうです。ここの石切場後が壮観です。それよりも、ここで、石切をしたということでしょう。そのあとに、この観音様を作ったということです。夏でも、涼しいと思わせる、芭蕉です。
4.鋸山山頂
鋸山は、上総育ちの人間は、小学生のころ、遠足で訪ねたところなので、戦後まじかの人間なら、だれでも知っているところです。多分、東京生まれの人も、ここの保田が海の家があったところなので、知っていると思います。今回は、アラ80のおばーちゃんとおじいちゃん3人で訪ねました。最後の駐車場から、ほとんど階段続きで山頂を目指しました。最大の目標は、山頂にある地獄覗きです。山頂の休憩場所から、最後の覗き場までは、足場が、ほぼありません。危険な場所。
5.東海千五百羅漢
日本寺、曹洞第9世、高雅愚伝弾師の発願により、大野甚五郎英令が、安永8年(1779年)から、寛永10年(1798年)の21年間をかけて1553体の石仏を完成させた。
明治維新の廃仏毀釈により、破壊されて、頭部を破壊された。その後「羅漢様くびつなぎ」として、復興に努力している。私どもが子供のころは、首なし地蔵として、見学しました。私の町、袖ヶ浦には、小規模ながら、羅漢像があり、母親に連れられて見たことがありますが、そこがどこか、全く忘れております。機会があれば、探してみたいと思ってます。
今回は、2019年の台風15号で参拝道路が、破損して、工事中でした。2020年の5月過ぎには、修復させたいと工事中でした。同径1mくらいの大木が多数、なぎ倒されておりました。
6.表参道
今回の参拝では、表参道側からではありませんでしたので、説明は、出来ません。次回は、保田側の表参道に、車を止めて、参杯したいと思います。
保田には、漁師の食堂の「バンヤ」があり、さかなでもたべようとおもいます。
7.行基の件
色々な、お寺さんをさんぱいすると、行基菩薩の開山という表現を見ることが、多く経験します。ここもかと思うことがあります。奈良時代創建のお寺さんと称する寺が多いですが、いつも、本当かと思ってました。行基をクリックしてもらえば、わかりますが、全国には、600寺院が、行基が関係しているとあります。奈良時代の西暦700年代に、一人の坊さんが、そんなに、活躍するのは、不可能と考えておりました。全部が嘘ではないと思いますが、ほとんどが、行基の名前を使ったものでしょう。同じように空海、弘法大師の同じような傾向はあります。
ここ袖ヶ浦市にも、延命寺というお寺があります。このお寺は、曹洞宗で、日本寺に似て、行基が創建したとあります。しかも、神亀元年(西暦724年)創建です。日本寺の1500羅漢にたいして、百地蔵とあります。後日、調査してみようと思います。昔、母に連れていかれた、かすかな記憶があります。
8.終わりに
今回の散歩は、2020年4月の春のの散歩でした。千葉の田舎は、まだ、田舎の雰囲気が、残ってます。コロナ騒ぎで、人のいないところを探して、近所を散歩してますが、結構新しい、スポットがあります。何か、気が付きましたら、又書きます。