私事ですが、東京湾の真ん中で生まれ、そこで、育ちました。ほぼ、80年前は、東京湾は、綺麗な海でした。少なくとも、私が、小学校の頃は、東京湾も埋め立てられておりませんでしたが、蘇我の川鉄が埋め立てられ、我が袖ヶ浦、当時は長浦干拓ですが、千葉工業地帯が出来てしまいました。ここが、千葉から始まって、袖ヶ浦の臨海公園が、千葉側から埋め立てられた端れになってます。木更津は、さらに、南側の君津から、富津までの埋め立てが、日本製鉄になってます。
千葉側から、埋め立てられて、一番端が、袖ヶ浦の臨海公園です。
1.埋め立ての最端
昔、東京湾は、遠浅の海で、干潮時は、岸から4kmくらいは砂地になりました。子供のころは、この砂地で、遊びました。東京湾には、アオキスがいて、東京の掛け持ちが、その釣りに来てました。海に脚立をたてて、のんびりと釣りをしてました。
当然、この地帯は、浅草海苔の生産で生計を立てておりました。
そこが、埋め立てられて、工業地帯になり、現在に至ってます。
2.公園入り口側の海岸
3.公園入口
4.公園の木更津側、アクアライン側
公園の案内図
芝のグラウンドは、2面あります。周りを散策できます。クーちゃんが居たころは、よく散歩に来ました。当時はこの公園の半分程度で、後は、葦がいっぱい生えておりました。この葦の中には、野ネズミがありまして、クーちゃんはそれを一生懸命探しておりました。現在は、立派なグランドになってます。
5.公園の先端、東京側
6.植物
海の中の公園です。冬は風があるときは、寒いですが、そうでなければ、結構暖かいです。入り口のヤシの木とか、ソテツの気が多いです。
ソテツは、実を拾ってくれば、簡単に育ちます。
やはり、千葉は暖かいと思います。東京湾側は、めったに雪はありません。千葉の内陸側で雪になっても、東京湾に出た、この地域は、雪は少ないです。
人間も、暖かすぎて、辛抱が足りないと、上さんに言われております。その通り!!
「袖ヶ浦臨海公園を散歩する」への7件の返信
ご自宅の歩いていける生活圏の中に、
ランドマークがある横浜、羽田空港、そして富士山なんかが、
このどこまでも続く気持ちいい、海の向こうに見渡すことができるなんて贅沢すぎです。しかも地上では、緑いっぱいの公園が広がってる。ソテツなんかも元気に育っちゃう、冬でも比較的あたたかい地域。
大げさでなく涙が出てきそうです。
高品さんがうらやましい。
今度遊びに行ったとき、浅利めしと、ここも案内してください。
よろしくお願いします。
泰さん
コロナが、落ち着いたら、東京湾のこっち側で、一献やりましょう。
アクアラインのバスを使うと、便利ですよ。
その時は、アウトレットの近くを探します。焼き海鮮がいいパイあります、まだ、私も入ったことは、ありませんが。
高品
ぜひぜひ。hondaさんも行きます。というか、honndaさんの話にのっけてもらいました。あと他にスジャータで賛同する人たちもぜひ。笑笑 鋸山も、もう一回行ってみたい気がするけど体力が足りるかどうか。でも美味しいビールと、焼海鮮っというのがあれば、どこでもがんばっちゃいます。あぁ、コロナよ早く終息してくれ。
早速、Takamts.comのBlog拝見、お達者で万端に励んでおられるようで、羨ましく且つ頼もしく、ご同慶の至りです。
早いもので、あれから2年経ちました。貴兄たちと久しく面談でき生涯の想い出と言いたいところですが、これを最初で最後にしたくないと決意?しています。
当日会って身に染みたことは、身振り手振り身のこなし語り口など、皆が皆、全て学生時代と変わっていないということ。既に半世紀前には出来上がっている訳で、驚くべきことですね!そうは思われませんか?
今宵はこの辺で
小生満身創痍ながら、致命傷とはならず、ぐうたらしてます・・・。
落合さん
Blog閲覧ありがとうございます。このコロナ騒ぎ中、自粛生活で、Blogを勉強しました。まだまだ、未熟ですが、今後も改善したいと思います。
引き続き、閲覧ください。気が付いたことがありましたら、ご指導ください。
髙品
高品さん
拝見すればするほど、本Blogに精魂傾けて取り組み・編集された様子がひしひしと伝わってきます。時間があっただけでは、到底なしえない技ですね!
生きてきた結晶であり・証ではないでしょうか。貴兄にこんな技があるとは、失礼ながら改めて見直しました。
小生後半は、”桜の追っかけ”と”西国33霊場巡り”を致しました。その中で、桜は美濃の国根尾谷の樹齢1500年と称される日本最古の淡墨桜に勇気と歓喜を貰いました。さらに弘前城にも訪れ、日本一華やかで見事な満開の花に接することができました。恐らくその時には、貴兄の足元に近付いていたのかもしれませんね。
それでは薄れかけた記憶をたどりつつ、いずれ又便りします。
高品さん
「西国33観音霊場巡り」は、凡そ20年ほど前に妻ともども二人で2回巡り、今では遠い過去の想い出となりました。「那智山青岸渡寺」を一番に発し、「谷汲山華厳寺」を結びとする全三十三カ寺、さすがに歩き遍路は難しく、主に公共の交通機関を利用し遍路しました。
納経帳に頂いた御朱印を、時たま思い出深く見入り、永遠の道標とするつもりです。
前回触れた薄墨桜は華厳寺から近く、途中で立ち寄り息を飲んだような次第です。
本日はこれにて ご健勝を切に祈ります